リリー・フランキー・・・

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遅ればせながらリリー・フランキーさんの『東京タワー』を昨日読んだ。

少しだけ読んで寝ようと思ったのだが・・・。

結局、朝7:00までかかって全部読んでしまった。


正直、引き込まれていった。


感想は?って言うと・・・・。


母親って素晴らしいなぁって感じだった。


僕も幼くして父を亡くし(リリーさんのお父さんは生きていらっしゃるが)母子家庭で育った。

小さな時、子供の基地みたいなのを作ってて、ちょっとした崖から落ちて病院に運ばれた。

病院に駆けつけた母親を見て泣きついたのを記憶している。

保育園に行くのにもなかなか一人で行けないで親にすがり泣いていたそうだ。


そんな僕は小学校1年の時に父を亡くした(自殺だった、発見者は僕と母親)。

父は38歳だった。

妹はまだ4歳だった。

泣き叫ぶ母親の姿が今でも忘れられない。


そういう状況で僕は祖母に『男は強くないといかん!!』と常々言われていた。

反動でかどうか分らないが、幼い頃からケンカばかりしていた。

有無を言わさず、子分を連れ隣の学校の子まで殴っていた。


僕の育った町は教室で先生が『お父さんの職業は?』と尋ねるとほとんどが『漁師!』というほど漁業で成り立った町だった(ちなみに父が漁師じゃないのは僕を含めクラスで3、4人だった)。

気の荒い町だった。

包丁持って酔った人が暴れまわっていた。僕の叔父さんも怒ると包丁を持ち出してたのを記憶している。

で、大人の人達は僕の行動を容認っていうか可愛がってくれた。

近所の中学生のお兄さんなんかよく僕がケンカするのを見てほめてくれていた。


そんなこんなで中学校もろくに勉強もしないでいた。

ちなみに母親は僕はまじめに学校に通っていると思ってた。


高校に入って1ヶ月・・・。

ばれた・・・。

先生に職員室に呼ばれ、『学校辞めろ!』って言われた。そばに母親が泣いていた。

この時は正直、母親を泣かせた罪の意識はかなり高かった。


母親って・・・・。


僕がぐれていた時も、事件になった時も、勝手に結婚して、勝手に離婚してもやはり我が子なのだ。

最後はいつも『頑張りなさい』だった。


リリーさんも結構、迷惑をかけたみたいだった。

しかし、東京にお母さんを呼んで二人で暮らしてたってのには感動、いや尊敬の念を抱いた。

最後はガンでお亡くなりになられるリリーさんのお母さんだが・・・。


<本文引用>

五月にある人は言った。

どれだけ親孝行をしてあげたとしても、いずれ、きっと後悔するでしょう。あぁ、あれも、これも、してあげればよかったと。



この文章を読んでそうだろうなぁ、と思った。

僕は今でも母親と口論したりする。

しかし、改めよう。いつまでも若いはずだと思っていた母も65歳になっている。

母なくして今の僕はいないのだから・・・・・。