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私は長年、幼稚園や保育園でひらがなやカタカナなどを教える先生として、幼い子どもたちに接しています。
クラスの中には発達障害がある子どももいます。
私の22歳の息子にも自閉スペクトラム症があるので
ついつい、発達に課題のある子どもに意識が向いてしまいます。
けれども、発達障害のある子どもだけにスポットが当たってしまうと
定型発達の子どもたちが放っておかれる状況になり、クラス運営がうまくいかなくなることもあります。
なぜ、うまくいかないのでしょうか。
それは、子どもたちはみんな
「先生に構ってほしい」「自分だけを見てほしい」と思っているからだと感じています。
例えば次のようなことがありました。
指導中、(子どもたちは着席していなくてはならない状況で)
私がホワイトボードのペンを落としてしまったところ、子どもの一人が拾いにきました。
「ありがとう。○○ちゃん」と言ってしまうと、子どもたちは
「次に立石先生が何かを落とさないか」と必死に見るようになります。
自分も先生の役に立って認めてもらい、みんなの前でほめてもらい、注目してもらいたいからです。
ですから、私はホワイドボードのペンを落として、それを子どもが拾ってくれたとしても、「ありがとう」とは言いますが
そのあとに「でも、先生は自分で拾うから席に座っていていいよ」と、必ず言うようにしています。
発達障害のある子どもは、サポートが必要なことも多くあります。
そのため、私の意識が、発達障害がある子どもに向いてしまっているとき
定型発達の子どもも、わざと鉛筆を落としたり、机をガタガタさせたりすることがあります。
これは、「そっちばかり行かないで、自分のところにも来て~来て~」
のSOSを出しているのではないでしょうか。
発達障害のある子ばかりに私の気持ちが向いていると
「先生の役に立ってお手柄を見せて褒めてもらいたい」と思っているのか
定型発達の子どもが「チクリ魔」になってしまい
「立石先生、○○君が席を立とうとしています」とか
「○○君がいじわるしています」と言いにくることがあります。
そんなときは「それを気にするのは先生のお仕事なので、みんなは先生のお仕事をとらないでね」
と言うようにしています。
で、親御さんに次のように訴えた子どもがいました。
「○○君は椅子に座ってるだけで褒められる。そんなことくらいで褒められてズルい!」
「どうしてあの子だけ教室を歩きまわっても叱られないんだ?」
「私が同じことをしたら、先生は叱るのに太郎君が同じことをしても、叱られない。えこひいき」
私は次のように伝えました。
「走るのが速い子も遅い子もいるよね、
給食をお替りする子も全部食べられない子もいるよね。
それと同じで、椅子に座ってじっと話を聞くのが上手な子もいるし、
動いていることの方が得意な子もいます。
できないのではなくて、できることが違うだけです。
そのことをしっかりとみんなには頭にいれてほしいです。
先生はそれぞれの違いに合わせて、言葉をかけています。
○○君だけ許されてずるい、と考えないようにしてほしいです」
それ以降、「えこひいき先生」と言われることはなくなりました。
前記のようなことにならないようにするには…
発達障害のある子どもに特別な対応をする場合
定型発達の子どもたちにもそれぞれの褒めポイントを見つけるようにします。
これは学習面や態度だけではなく
・給食をおかわりする
・寝癖がついていない
・誰よりも早く学校に到着している
・蝉とりがうまい
・風邪をあまりひかない
・砂場で泥団子を上手につくれる
5歳だからこれくらいできて当たり前
4歳の基準はこうであってほしいという一定の基準で褒めたり叱ったりするのではなく
定型発達児であっても発達障害のある子どもへの対応と同じように
一人ひとりの褒めポイントを変えるのです。
このことにより、保育中や指導中に発達障害のある子どもへ私の意識が向く場面が多くなっても
定型発達の子どもたちは「僕も、私も決して先生に私の存在を忘れられていない」
と感じ、安定するようになりました。
■兄弟児へも同じ
定型発達のきょうだいへも同じ
家庭で定型発達のきょうだいがいるときも、同様だと思います。
どうしても、障害がある子どもにばかり手をかけることが多く
「あなたはできて当たり前」と定型発達のきょうだいに対応してしまうこともあるでしょう。
でも、きょうだいもまだ子ども、親にかまってほしいのです。
「いつも我慢していることをお母さんはちゃんと分かってるよ。偉いね」
など褒めポイントを変えたり
定型発達の子どもだけと遊ぶ時間を毎日どこかで作ったり
週末、定型発達の子と親だけで出かける時間を設けたり
「あなたのことも決して忘れている訳ではないんだよ。大切に思っているんだよ」
ということを体験させるとよいと思います。
子どもはまだ生まれて数年、みんな「かまってちゃん」
ということを忘れてはならないと感じています。
執筆/立石美津子
(監修・鈴木先生より)
ASDのお子さんは、先生が呼ぶときに「みんなおいで」では通じづらく
本人の名前も呼んであげないと通じないことが多々あります。
何ができないかではなく、何ができるかに注目することはASDだけではな
、身体障がいのあるお子さんにも通じることです。
障がいのあるお子さんのきょうだいには外来でいつも気遣っています。
とかく障がいのあるお子さんにばかり目が行ってしまい、きょうだいへの扱いが疎かになってしまう傾向があるからです。
障がいのあるお子さんが入院したり、外来通院したりで母親が取られてしまって
結果そのきょうだいが心身症になってしまうケースも多々経験しています。
本当はもっと甘えたいのに我慢しているきょうだいへの気遣いも子育ての中では重要なのです。
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