【法律全般】 法律学の勉強法の理論面―法律学における判例と学説 | 法学事始ブログ

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―学説はクソ、判例は神
かの安念教授がおっしゃった名言で
司法試験業界での至上命題です。

さて今回扱うのは法律学の理論面での勉強法です。

法律学において判例の重要性は言うまでもありません。
ただ判例を勉強するとはどういうことかということをよく考えねばなりません。
判例は個別具体的な事件に対する法適用です。一般論として法解釈の内容も書かれていますが、判例単体を取り出して何か有用なことができるというのは大きな誤解です。
というのも判例の言はそこに必要最低限なことしか書かれず含意されることまでを明言しないからであります。
だからこそ学説が必要になるわけです。

学説は判例がよってたつ背景を突き止め、一般的基準を定立するものです。
そこでは判例集積の類型化もあれば、条文の歴史的論理的解析もなされます。
判例もこの学説を一定程度受容しながら蓄積される以上、
判例は神だといくら讃えようとそこにある含意については判例の文言を頼りにすることとなり学説の有用性は否定されません。

受験生はその学説が判例でいかに妥当するかということに気を配り、判例の射程を画すことになります。

それゆえ安念の言は正しくは
「判例を省みない学説だけの学習はクソ、
判例が法律学の基礎にあってその補助として意味をなす」
ということにすぎません。

判例の正確な読解は前提知識なしにはなしえません。
しかしながら学説を判例に当てはめるのではなく、判例に照らして既存の学説はどこまで使えるか、見直しを要するかと考えることになります。

逆をいえば判例をいくら読んだとしても、その射程や含意は、既存の判例集積ないしその解釈としての学説なしには誤った読みを導くということです。
学説には現在の判例には妥当しない過去の遺物も含まれており、学説先行は判例形成期であればまだしも、現在ではその有用性は相対的に低下しているということです。

だからこそ
1 まずは既存の学説を丁寧にさらい
2 判例からその学説の正当性を疑い、取捨選択し
3 使える学説から判例の含意―正しい射程、他事案への適用可能性を身につける
というのが法曹を目指す学生のすべきことと言えます。

つまりは判例と学説は車の両輪であることは忘れてはならないわけです。

以上が法律学の理論面での勉強法となります。
実務面での勉強法は当ブログの初期に述べた訴訟における対立構造からの再構成ということに尽きますので
この2つのアプローチで勉強すればよいかと思います。

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