教育実習日記26 ~最後の幼稚園実習、TP編 その4 | 特別支援学級教員のブログ~人生、何事も勉強~

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3浪した大学受験、充実した大学時代を経て、小学校特別支援学級の先生になりました。
そんな日々に思ったことについて、たまに更新していきます。
コメントとか待ってます。

附属学校の先生方はとっても忙しいはずなんですが、二時間くらいかけて、大事なお話をしてくれました。

「君は実習にも沢山来てくれてるし、意欲があるみたいだからキツく言うんだよ」
という趣旨の言葉を何度も挟みながら。


まず、
「ある時は童心に返って、子どもと同じ目線にならなきゃいけない。だけど、"本当に"同じ目線になってはいけないんだよ。」

教師がやらなきゃいけないのは、instructではなくeducation。
子どもの主体性を育てるということ。
その出発点は、「教師という意識の下に」子どもと同じ目線に立ってみることなんだろうな。教官の話を聞いて、そう思いました。


そして、言われて一番グサッときたこと。


「君は、子どもを見下している。
子どもは、私たちの下ではなく、はるか上にいる存在です。純粋で素直で、素晴らしい存在です。
教師はそこから、"学ぶ"ということをしないといけない。見下して教えているようではいけない。
君の言葉からは、そんな意識がまるで感じられない」


本当に悪い子など誰一人として居ないし、全ては周りの大人の責任だ。
そんな「性善説」を、私は以前から頑なに信じていました。
でも、実際に子どもに向き合った時、その意識が無かったことに気付きました。

子どもたちの個性と向き合いたかった。だから、「ああ、この子は~な子なんだ」と分かろうとしていた。

でも結局は、ただ子どものことを勝手に決めつけて、偏見に満ちた目で見ていることでしかありませんでした。
個々の差異を、表面的になぞっているに過ぎませんでした。

実習の打ち合わせ会の頃から一貫して、「子どもの言動のウラを読み取れ」と指導されてきました。
それを私は、「個々の言動の真意を読み取れ」という意味で受け取っていました。
でもそれだけではなく、その行為に至るまでの思考回路というか、その状況下での心の叫びというか、その子の奥底にある本質的な「個性」に向かうようなものを考えろ、ってことなんだったんだと気付きました。。

でも私は、それを経由しない決めつけ・偏見によって、色眼鏡をかけて子どもを見てしまっていた。

思えば、サイテーの「先生」でした。

幼稚園の先生は、世間的には下に見られている気がします。給料だって、他の校種(小中高等)より安い。
でも、幼稚園や保育園には多くの場合、「教壇」がありません。だから、子どもと教師との距離を掴むのが非常に難しい。
元気はあっても、力もないし傷つきやすい、とってもデリケートな園児たち。
その子たちの立場に立って考え、適切な指導をしていくことは、実は物凄く大変なことなんです。

幼児教育って、どの年代よりも難しい領域なんじゃないか? 実習を終わってみて、強く思います。だからこそ、他の校種の先生になるにしてもいい修行の場で、とても大切なことを学べる場所でした。


今まで、自分は何をやってきたんだ。結局、何も分かってなかったじゃないか・・・

大学に入って、ここまで自己嫌悪に陥ったのは初めてでした。
暫くは教育のことを、考えたくもありませんでした。


でも、これは教員志望としての自分を変えるチャンスなんだと思います。

自分を「変える」ってのは、すんごくしんどいことです。
特に、自分の中での常識とか価値観とか見方とか、精神的なものを変えるのは、とても辛いことです。

でも、自分を何とか変えていこうと思います。

そして、「教育って何だろう?」って、また一から考えていこうと思います。