今日は愚痴と言うか独り言みたいなものなので、誰も読まれなくていいです。
親友が今朝、突然亡くなってしまいました。
皆さんは人生の中で、何でも腹を割って話せる友人は何人ほどいるでしょうか。
仲間、知人、先輩後輩、幼馴染・・・どれも大切な人がいる中で、私の場合は4,5人でしょうか。いや、その中でも本当に親身になって付き合ってきた人は1人か2人です。
その中の一人でした。
幼馴染を除くと、本人の家族、実家の父・母・姉・兄、さらに奥さんの実家にご両親まで知っていて、家族旅行に混ざってアメリカまで付いていった事もありましたが、それほどの関係ではありました。
私の友人のなかで、ここまで家族に関わってきた人は彼だけだと思います。
私とは大きく違って、見識を備えた人物で、自らの人生と自らの力量をしっかりと把握し、家庭を第一に築き上げ、仕事で結果を出し多少の財を築き上げ、昔の公言通り50歳をすぎてアーリーリタイヤをして余裕を持った第二の人生を歩み始めていた矢先でした。
日本で始めて作られたアップルの専門店である「ゼロワンショップ」の初代店長になり、キャノンMJの大阪支店長の後、経団連の御手洗元会長の側近として頑張った後にスピンアウトして小さな会社で自由にやり始めていました。
奥さんに聞けば今朝までいつもと変わらずまったく異常も無く元気だったとのこと。
いったい、人生や運命とは何なのでしょうね。
私は事件ものの記事をよく書きますが、生まれ出る場所は誰にも選べないわけで、そして生まれる場所によってその人の人生が大きく変わるわけですよ。
日本に生まれただけでも、ものすごく幸せなことですよね。
コンゴ民主共和国の東部に生まれていたら、今頃は誰かに殺されているかもしれませんし、シエラレオネに生まれているとエボラで怯える毎日を送っているか、15年ほど前にブラッドダイアモンド紛争に巻き込まれて命を落としているかもしれません、いや、そのときに反政府軍に捕まって片腕を切断されているかもしれないのです。
中東のガザに生まれていれば、今頃アメリカやイスラエルに対して何かを必死で訴えているかもしれません。(例えば、レバノンで生まれた重信メイさんはその運命の中を生きているわけです)
日本で生まれていても、幼少期に虐待を受けたり、暴行されたり、普通に生きたいのにそれが出来ない人も沢山います。
このブログをはじめた当初にブロ友になった女性は、幼少期に父親に犯される運命を背負って生きていました。
さらに若いときから女性を売る商売に振り回されて育ってきた人でした。そんななかで素晴らしい男性とめぐり合い、結婚し、子供を生み、普通の幸せな生活が出来るようになったのです。みんな彼女を祝福していました。ところがその矢先に、突然首を吊って自殺をしてしまったのです。過去を知る親友の女性に電話して笑っていたそのすぐ後で。ずっと幸せをつかめなかった人が幸せの座布団に始めて座った時、「こんな私は幸せになってはいけないのだ」と考えたのかもしれません。
生まれ出る時に降りかかる運命も、過酷なものがありますが、天に帰る時の運命も残酷というか、あっけないというような場合がありますね。
学生時代にも、高校の友人 I と遊んで「ほなまた」と別れた30分後に自動車事故で亡くなったということもありました。
話を彼に戻します。
彼も多少は家庭の問題を抱えていたとはいえ、それを自ら克服して、自分がおそらくは理想とする人生と家庭を築き上げたはずです。
これがなかなか出来ないことです。
ものすごいことだし素晴らしいことでもあるのは明白です。
それなのに、一体どうしたことなのでしょうか。
私が糖尿で、心臓に違和感があり、天皇陛下が狭心症の手術を受けられた時に、私も狭心症の検査手術を受けていて。彼はその一部始終を見ており、健康には十分に気を使っていたはずなのです。
完璧ともいえる人生を掴み、健康にも注意していて、私の知る限り悪いところは見当たらなかった。
私はといえば、人生を一度二度と転げ落ち、病気を直すことで必死にもがいている身。
片や蒼天の空を眺めて生き、片やブログの通り「砂の坂を這い上がろうともがく蟻」
それを見て彼は私を散々馬鹿にして笑ってくる。ようするに本心は「何時までもがいてるの」と退屈しながら怒っていた。
俺は彼を羨ましいとは思わなかった。
意固地になって、「そういう人生って面白いのか?面白い人生と言う意味では俺のほうが上や」と思う反面、ええ加減に這い上がらんと、エンジン止まるぞ。と焦っていた。(今も、全速力で走ってもスピードが出ない感じです)
要するにどんなにしんどくても、油断している彼の傍にひょっこりと現れて、彼を驚かし怒らせ、焦りまくる姿を見たかったのだけれども・・・。
昔、いつもの仲間四人で「人生ゲーム」をやった。
ゴルフなどで泊まったときには必ずやっていた。
さいころまわして、車に乗って、金持ちになったり、振り出しに戻ったり、子供が出来たり離婚したり。
30年近く前にやったゲームの結果が、今見れば4人それぞれ同じだった。
私は、50をすぎて、二度目の人生ゲームをやり始めていたところだったのに。
なんだか今日は会社にいながら何かをしたようなしなかったような。
一日中ボーっとしているだけ。
これじゃあいかんとこのブログ記事を書き始めた。
これを書いて一体何の意味があるのだろうか。
一体・・・・人生とか運命とかいうものって、どうなってるわけ?
症状を聞いている感じでは急性心筋梗塞。
健康な人でも起こりえる。
狭心症と心筋梗塞の違いはご存知でしょうか。
狭心症は血管が狭くなることにより血の流れが悪くなるのですが、心筋梗塞はその血管が完全にふさがるのです。
だから、狭心症なら塞がったその先の血管へ僅かながらも血が流れてゆくのに対して、心筋梗塞は塞がった先に血が流れないので、その先の血管はだんだんと壊死(えし)してゆきます。
そのスピードは人によりますが結構速くて心肺停止から5分が正常な心肺蘇生の限界で10分を超えると命がないと言われているみたいです。
みんな我慢してしまうのです。
しばらくすると直るだろうと・・・。
心臓周りでやばいと思ったらできるだけ早く救急車を呼ぶのが大事です。
難しい判断ですよね。
特に急性心筋梗塞は。まったく健康の人が突然かかるのですから。
息が苦しいような、胸周りが痺れる様な、違和感が胸部のあちこちで起こるような・・・そんな時は救急車を呼ぶべきです。
もし、周りに人がいれば
①119番通報とAEDの要請
②胸骨圧迫(心臓マッサージ)
③電気ショック
なんとか救急車を呼んでAEDをやってもらう。
人がいなきゃ自分でやるしかない。
(これは私の心臓)
五体満足で健康な人間の前では、こんな話どうでもいいでしょうに。
と思うのが普通でしょう。
嫁さんは、彼が呻く姿にまったく理解が出来なかったと思います。辛うじて救急車を呼んだらしい。
人間はどういう風に生きるのが幸せなのだろう。
幸不幸はともかく、自分に与えられているであろう生きられる人生の時間をどうやって使って生きてゆくか。
しかし、彼のように(私の父もそうでしたが)突然時間が無くなる様な人生は、あっけないというか、中東の戦場で死に行く人々もそうかもしれませんが、せめて自分の人生を振り返って幸せだったか不幸だったかを考えて、感慨に浸りたいものだなと思うわけです。
彼の人生は見事だったし、残った家族が奈落の底に落ちないように考えつくされていたからすばらしい。
せめて感慨に浸れる時間を与えてあげてほしかった。
そういうところを一番大切にしていたはずだから。
神は酷なことをするものだ。
家族は辛いのは勿論ですが、家族には遠慮しながらも親友だって辛い。
Nさんも、Aさんも、Oさんも、Yさんも辛いだろうけれど・・・何度書いてまとめようとしても纏まらない。
纏まらない・・・。
ご冥福をお祈りします。



