平安時代中期、このころには旅の宿というものは無かったらしい。夜を越す時は、民家の片隅を借りるか野宿をしていたらしい。
西の空がすっかりオレンジに覆われた頃、茨城童子は脛こすり峠の頂から峠を上ってくる人々の姿を見ていた。
(もう夕暮れだというのにどうしてこんなに上ってくるのだ。峠で野宿でもする気か…)
茨城童子は三戸野峠に戻ることにした。ここから鬼ヶ城へは狼煙が届かない。
(あわてることは無い、この連中はこのあたりで夜明けを待つ。三戸野に戻って夜明けとともに狼煙を上げよう)
平安の夜に明かりは無い。余程のことが無い限り夜中に移動することは無い。
三戸野峠に戻った茨木童子は留守番をしていた栗童子にその後の様子を聞いた。
「栗童子よ、俺が留守の間になにか無かったか」
「特別変わった事は無かったす、山伏が5,6人の塊で通ったくらいです」
「山伏。…たった5,6人か。老ノ坂の夜叉童子からの連絡は無かったか」
「ありませなんだ。脛こすり峠はどうでしたか」
「どうも様子がおかしい。日が沈むというのにどんどん人が登ってくる。」
「やっぱり、おかしいですよ」
「そうだな。栗童子は明朝すぐに狼煙を上げてくれ。」
「へい、わかりやした」
その晩、茨木童子は寝付けなかった。
「栗童子。俺は今から鬼ヶ城まで戻ってみる。狼煙は頼んだぞ」
「こんな夜中に。少しお待ちを、松明を造り申すで」
茨木童子は夜中に移動を始めた。
由良川の流れは鬼ヶ城を回り込むように流れていた。金熊童子は鬼ヶ城の北側へ降りた。丁度鬼ヶ城と大江山の間になる。そこへ山伏を乗せた船が着き、山伏は船を降りようとした。山伏達は大江山の登り口の方向へと歩き出した。
(五人か…、まさかとは思うがのう。五人ならば、棟梁の事だ問題なかろう)
金熊童子は何度か振り返りつつ、鬼ヶ城へと戻っていった。
その頃、綾部の並松(なんまつ)で降りた人夫は大原神社についていた。神社には先に馬でかけて来た葛城氏ら数人がいた。人夫は卜部からの手紙を渡した。
「…、よく届けてくれた。さ、奥で休みなされ」
「へい」
「明日の夜明けより到着したものを休ませることなく、鬼ヶ城へ向かわせる。そのように順次申し伝えるよう」
頼光ら一行は日が沈む前に河守(こうもり)にある酒呑童子の屋敷にたどりつかねばならなかった。
「皆の者、童子の屋敷の近くまでは急がねばならぬ」
「酒呑童子の屋敷が中腹にある河守の鉱山にあって幸いでござる」
西日が山肌をさす中、五つの白い点が木々の合間を縫うように動いていった。
しばらく歩くと、岩だらけの小さな川沿いに山を掘っている穴があちこちに見えてきた。
「しばし休もう。あの明かりに違いない。」
「剣を荷の中に隠そう。ついでに例の酒を持つ。」
「神便鬼毒酒(じんべんきどくしゅ)。本当に効くだろうか」
「効いて欲しい。私は信じる。」
頼光一行は酒呑童子の屋敷へとゆっくり進んだ。もう辺りは暗くなっていた。しかし酒呑童子の屋敷は鉄の門と鉄の塀で出来ていて、その中では櫓に組まれた山木が煌々と燃えており、辺りは明るかった。しかしその周りには酒呑童子の部下が沢山見張に出ていた。
頼光は意を決して門の前に立った。
「おたのみもーうす」
しばらくして、黒い鉄門がゆっくりと開いた。
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河守鉱山と鬼
大江山のこの辺りは岩だらけの場所で、かなり昔から金属が取れていたらしい。現在は廃坑しているが今までに、銅、ニッケル、モリブデンその他様々な金属を採掘していたようだ。もちろん鉄も採れた。
鉱山は江戸時代ならな幕府管轄で役人が守っているわけだが、この時代は誰の土地でもない訳でして、いわゆる自由に採り放題。だから鬼の噂を流して恐れて登って来れないようにしていたのだろうと、私は思っています。
この地は現在は鬼の交流博物館があります。まだ鉱山のあともあるのではないかな…。廃坑したときによくある鉱毒の問題が無かったのは幸いです。