三河鉄道(現名鉄)門立(もだち)線を
知っていますか?

名鉄挙母(ころも)線については知っている人も多いと思いますが、門立支線を知っている人はそう多くないと思います。戦前に廃止されてしまったため、この路線に乗ったことがあるという人も、あった事を知っているという人にも会ったことがありません。

ここは三河岩脇駅跡です。あえて頭に三河を名乗っているのは、名鉄に他の岩脇という駅があったのかもしれません。この駅で挙母線と門立支線が別れていたそうです。現役の頃は島式ホームを持つ交換駅でしたが最後の頃は無人化され側線も駅舎も撤去されていました。
10年 くらい前まではホームの跡や駅前商店も残っていましたが、現在は空き地になっています。 ここから旧細川駅までは一旦北斗川まで下ったあとかなりの勾配で登りになります。よく電車が走ったものだと思います。

 
挙母線から別れた門立支線は次の駅「細川」に到着します。
細川駅は挙母線にも同名の駅がありましたが、門立支線が廃止されるまでは「上市場」という駅名だったそうです。支線というものの、元々こちらが先にあって挙母線のほうが後から出来たんですけれどね。門立支線のほとんどは県道に吸収されてしまったため遺構と言えるようなものはほぼ残っていません。昔は岩脇の駅の北側の県道脇に門立線用の橋台跡が残っていましたが、いつの間にか撤去されてしまいました。ここに限らず、岡崎市内では歴史的な近代遺産を残そうという気運が無いらしく、挙母線側もどんどん消滅していっています。

細川駅前通り跡といったら良いか?田舎の集落には不似合いな駅に向かう直線道路が残っています。この辺りは鉄道跡だと聞けばなんとなく理解できる地形です。駅には農業倉庫や郵便局など地域の中心施設が集まることが多いと思いますが、ここもその痕跡を残しています。
余談ですが、この細川と言う土地は、戦国時代に大名家になった細川家の出自となった土地です。


細川駅からは一気に下りになって、路線の名称の元にもなっている門立に至ります。路盤は県道と脇の宅地に吸収され全く残っていません。この写真は門立バス停のある三叉路です。わかりにくいとは思いますが門立線唯一の遺構である築堤が道路の向こう側に独立して残っています。草の無い冬場だともっとよくわかります。私自身ここに鉄道が走っていたなんて全然知らなかったときに、この築堤が不自然に感じたので調べてみて初めて門立線のことを知りました。

 
門立駅跡は、先ほどの築堤から県道を超えたところにありますが、ただの原っぱになっています。この先はおそらく巴川を超えて足助を目指すつもりだったと思いますが、もちろん実現しませんでした。

 
 
 
 
 
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