名鉄挙母線(ころもせん)の想い出 廃線跡を歩く 岡崎市内 編

     

矢作川を豊田側から越えたところにある挙母線跡。右の草が生えている所が路盤の築堤跡です。ちょっと前までは矢作川橋梁の橋台跡が残っていましたが、すでに撤去されていました。


細川駅跡です。右の止まれが書いてある細道が線路跡で、正面の家の部分が駅跡です。左の道と交差する現在赤く塗られている所が踏み切り跡です。三河鉄道門立線が廃止されるまではそちらに細川駅があったため、こちらは上市場駅と呼ばれていました。片面ホームで駅舎もない簡易な駅でした。

鉄道橋を利用した橋です。細川と三河岩脇の間に残っています。

 
橋として再利用されていると言っても実際は農道で、それもほとんど利用されていないのが実態です。岡崎市内の近代産業遺産はどんどん消えているのが実情で、この橋も早晩消えてなくなるかもしれません。

 
同じ橋を反対側から見たものです。名鉄挙母線時代には特急も走っていました。もちろん細川は素通りでした。上挙母大樹寺間ではトヨタ自動車前と岩津に特急が停車していました。

 
三河岩脇駅跡です。木の生えている辺りにホームがありました。あえて頭に三河を名乗っているのは、名鉄に他の岩脇という駅があったのかもしれません。この駅で挙母線と門立支線が別れていたそうです。現役の頃は島式ホームを持つ交換駅でしたが最後の頃は無人化され側線も駅舎も撤去されていました。10年 くらい前まではホームの跡や駅前商店も残っていましたが、現在は空き地になっています。手前が踏み切り跡です。

三河岩脇駅と八ツ木駅間はきれいな築堤が残っており、廃線後は早くから自転車道とされていました

ツ木駅跡から北側です。八ツ木駅は早くに廃止されたため、この駅のことを知る人は多くないようです。

  

 



 この部分は一見線路跡に思えますが、おそらくこの下に線路は走っていたはずです。







 

岩津駅北側の県道(当時は国道248号だった)を渡る踏み切り跡です。向こうに見える細い道が線路跡です。

大樹寺駅跡は、岡崎市内線のバスステーションになっています。鉄道健在の頃は、ここからひっきりなしに東岡崎や福岡町行きのバスが発車していたものですが、今は本数も限られ閑散としています。

大樹寺駅前の風景は当時とさほど変わっていません。もちろん駅舎は取り壊され、ホーム等の遺構も一切なく、説明されなければ鉄道跡とはわからないと思います。鉄道としてはここで終わりですが、この先岡崎市内線の市電が同じホーム反対側から発車していました。市電は早くに廃止されたため、その跡が名鉄バスの専用道となって残っており、市内から入ってくるバスの一方通行になっていました。また、ここから今で言うユニチカへの引込み線も分岐していました。

 
厳密にいうと、電車線は大樹寺駅の次の井田町までで、そこから先が軌道線でした。その電車線の名残が写真の左側に見える道です。この道もずっと名鉄バスの専用道でしたが、市街化の波に飲み込まれ、現在は普通の生活道路と化し、さらに途中で分断されています。右は現在の県道(当時の国道248号)で、ここから市内は路面電車になっていました。

 

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