第三話を見ながら・・・・・


 実際こんな話は 普通 ご都合主義 と片づけられるンじゃないかな・・・と思った


 牢名主が1人殺せば 1人昇格と持ち出した時の話である


囚人が、「お前ら殺し過ぎなんだよ」  「もう殺しは嫌だ」  「お前 あいつに助けられたんじゃないか」


  等と騒ぎ始めた・・・・・・つまりは お約束の主人公は死なない・・・・と言う奴である



 しかしながら、この話のホントの主人公 

  

   もしくは ストーリーを進めているのは なんですよね


  南方仁という医者は この神に振り回され 過去に送り込まれ 


   神の意志に従って 人を医術によって救う・・・と言う使命(天命)を与えられている


 そこで、前述の場面である・・・・・・普通のドラマなら 


    ほらね主人公は絶対に助かるんだよ・・・で終わる話が このドラマでは違った意味合いを持つ事になる




 つまりは、神の意志に従っている限り 道は必ず開ける・・・と言う奇跡が生まれるわけである


   救う・・・と言う神の意志に従う限り 神は仁の命を奪わない 


       天命を果たさせるために 人々の意識すら動かすことが出来る・・・・当に神の奇跡


 

  何を考えて この脚本家がこういうドラマを書いているのか分かりませんが


    神を主人公にするなんて・・・・・・それもギリシャ神話や八百万の神のような人間くさい神ではなく


 聖書に書かれている神に非常に近いんですよ・・・・・一神教の 全能者である神に



    脚本家が 宗教学科卒とはいえ、びっくりするなぁ ホント


 欧米の映画やドラマにはよく出てきますけどね・・・まぁ キリスト教国ですから それが文化の土台なわけで


   例えば、インディ・ジョーンズ 最後の聖戦だったかな


    あの中で、キリストの聖杯を持ってくるラストシーン


  神を信じて飛び降りなさい・・・・・と 断崖絶壁の洞穴から 向こうに見える洞穴まで 飛べ・・・と


    絶対飛べない距離で、確実に落ちて死ぬと・・・そんな時にも 信仰を持って飛べ  と言われて


   もちろん信心深さとは真逆の主人公ですが・・・・・飛びましたよ 


 そしたらあったんです・・・・・目の錯覚で見えない架け橋が 笑


   信じて飛ばない限り見えない橋 (確かこの視覚効果を描いたのは日本人だったような気がする)


  こういう描き方が出来るのは、欧米文化の土台に聖書があるからなんだよな・・・と思いましたね 


     むかーーーーーーしの話ですが 笑




と言うことで、JIN 第三話にして 「主人公は神」と勝手に解釈した 僕の道行きがどうなるか・・・・・


    楽しみだなぁぁぁ