ブログを始めた頃も確か同じようなことを、書いたのですが


  僕が「オードリーの漫才」に特殊性を感じる もう一つの点は、


     「筋書きで演じている」と言うところですね・・・・


  台本を渡して、相方に覚えて貰う・・・・・もしくは、話し合いながら作っていく・・・


その過程をオードリーも踏んでいるとは思いますが、


    台本がほとんど白紙なんじゃないかな・・・・・と感じるんですよねぇ・・・


もちろん、他の漫才師が「全文原稿」で演じているとは言いませんが・・


  そんなことしてたら、突発的な事に対処出来ない・・・・プロとしてそんなことはあり得ない・・・しかし


 オードリーの台本には


     春日君のキャラ設定 (偉そうな所を除けば ほぼ地なんじゃないかな・・・) 


    若林君が どんなストーリーを語り進めるか

 

    それにどんな反応が出来るか


 これだけを 大まかに決めているだけの様に思えるんですよねぇぇ・・・・・どうなんだろう?


  突然 あり得ないセリフを出してくる春日君・・・若林君が、絶対処理できると信じているんだろうが


  彼等の漫才につきまとう 新鮮な感覚は、白紙の台本にあるような気がしてならない。



ちょっと前のドラマにも、そういうのがありました・・・・・「HR」でしたっけ?


 三谷幸喜さんの脚本で、シチュエーション・コメディ・・・大まかなことだけ決めて、演出はするが


   後は、役者まかせ・・・・・・と言うスリル満点のドラマ・・・・確か2002年だった?


  毎回見ることはなかったが、あの緊張感は半端じゃなかったと思う・・・



 オードリーの漫才に同じ匂いを感じつつ、やはりこういうところは特殊だなぁ・・・とはまりこむのである