鳥海山にまつわる話 | 鳥海の麓から

鳥海の麓から

休日は、山かバイクか。
登山、ハイキング、ツーリングの記録

 

 

 

昔、大きな鳥が3つの卵を抱え飛んできて鳥海山の頂上に巣を作った。

暫く経つと、鳥海、月山両所大菩薩と丸子親王が生まれた。

この大きな鳥は地域の先祖となり、荒れ地を耕させ、米を作らせた。

その後、北の方の嶺の大きな池に沈み、それからその池を「鳥の海」と呼ぶようになった。

だからこの地の人は鳥は食べず、また丸子親王の子孫は鳥を家紋にした。

 


  

この山に手長足長という毒蛇がおり、それを知った神様が山に見張りを置くことにし、木に鳥を置き、毒蛇が出れば「有耶」、居なければ「無耶」と鳴かせて旅人に知らせた。

それからというものそこを有耶無耶の関と呼ぶ。

 

 

ある時、鳥海山が自分より高い山はないだろう、と独り言を言った。

ある日、旅人が鳥海山にやってきて、眺めながら立派な山だが富士山の方が高い、と呟いた。

すると鳥海山は威張っていたのが恥ずかしいやら悔しいやらで、頭だけボーンと飛び出した。

それが日本海に落ち、今の飛島となった。

飛島と鳥海山が離れていても同じ神様を祀っている理由である。(大物忌神社)

 

 

 

 

 

 

これは、鳥海山に伝わる話等

 

いろいろ調べていて見つけた

 

古い本のあらすじです。

 

『鳥ノ海』は、現在の鳥海湖?

 

わたしが知ってる範囲で他には、

 

鶴間池に伝わる悲恋のお話だったり。

 

お暇なときにお読みください(^^;

 

 

 

 

 

 

奥州の雄、安倍貞任(あべのさだとう)の血を受け継ぐ平泉・藤原氏は、源頼朝の鎌倉勢によって三代で滅ぼされた。

藤原秀衡の妹で岩城則道に嫁いだ万徳御前は、藤原氏再興を期して挙兵するが、味方の裏切りにあって敗れ、家臣とともに鶴間池の岸に女別当宮を建て、池の竜王の使いとなった。
時は流れて鎌倉時代、山形のとある館に、小百合姫という美しい娘がいた。

姫はやがて「あげ羽の蝶の君」と恋に落ち、平穏で幸せな日々が永遠に続くように思われた。
  

そんなある日、小百合姫は自分が安倍満安の娘であると明かされる。

満安は安倍貞任の再来かといわれた偉丈夫だったが、彼に恨みを抱く滝沢氏と仁賀保氏によって留守中に城を落とされ、自らも命を絶つ。

小百合姫は、落城の際、女別当宮の巫女に抱かれて逃げ延びたのだった。

 

自らの素性を知った小百合姫は、親の仇討ちを果たすため、恋人と別れて鳥海山を目指し、鶴間池の辺りで、行者や巫女を相手に武術の鍛錬に励む。
姫が子を宿していることに気づいたのは、山に入ってからである。

姫は鳥海大権現に「もしこの子が生まれた後に仇討ちが果たせるならば、池のほとりの百合を墨に、そうでなければもとの色に咲かせてください」と願をかけ、運命を占う。
  

翌年、姫は男児を出産。

百合はみな墨色に咲いた。

姫は黒百合姫と名乗って乳児を抱いて出陣し、まず仇敵、滝沢氏の城を落とし、仁賀保氏の城へ攻め込んで、その息子を投降させる。
ところが、本丸から出てきた若者を見た姫は言葉を失う。

それは、あげ羽の蝶の君、その人だった。

姫は子供を彼に託して山に籠り、「黒百合尼前(あまぜ)」と呼ばれて、法華経とともに一生を終えたという。

 

 

 

 

 

 

 

鳥海山の登山道を歩いていると

 

実にたくさんの祠を目にします。

 

東北を代表する

 

修験道の山だったらしいです。

 

つと、立ち止まってしまいます。

 

無視できないんですよねいつも。

 

昔は登山道も


今よりたくさんあったみたいですね。

 

その途中に山小屋ならぬ

 

お茶屋さんがあったり。

 

現在は車道が延びて

 

ほとんど歩く人もいないから、

 

藪がすごくてとても無理だよ、

 

って聞いたことがありますが。

 

 

 

 

 

 

 

こういう言い伝えを知って登山すると

 

山に対して、

 

また違った見方ができる気がする。

 

知ってると知らないとじゃ

 

大違いな気さえしてきます。

 

こういう昔話だけじゃなく、

 

もっといろんな方面のことを

 

調べてみたいと思いました。

 

どうでしょ


この入れ込み方!(笑)


ネットでは限界があるので、、、

 

古い本は図書館に行けはあるのかな。

 

あとはAmazonで探すか。

 

 

じっ。。。っと地図を眺めてると。

 

じっ。。。っと毎日鳥海山を眺めてると。

 

また行きたくなる(笑)

 

 シーズン終わっちゃうのが


淋しいなぁ〜


もみじもみじもみじ