石原都知事とフジモリ元大統領4 | 新編 太郎日記・わが家の郵政解散

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トトさまが巻き込まれた郵政新党騒ぎ内幕の因縁をぼくの誕生から

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 随分忙しくて久しぶりにPCに向かいます。
 ぼくも

 徳洲会病院徳田理事長 元熊本県会議.野田将晴さん.フジモリ元ペルー大統領.石原都知事が並んだ
 都内某所で撮影された例の写真。

 その顛末は今夜....。

 と、

 9月13日にコメントを残して以来、今日になってしまいました。

 で、

 例の写真の事の起こりは『都知事が自由連合本部に徳田党首をたずねてくる、その時に都知事に
 会えるぞ』と云う野田将晴氏からの一本の電話だったわけですが
 この時、都知事が徳田虎雄さんをわざわざたずねて来られた要件とは、フジモリ元ペルー大統領
 の新しい隠れ家を世話してやって欲しいと云う事でした。
 この写真が撮影された00年12月12日の、凡そ一月前11日17日に大統領はペルーを出国、
 わが国へ亡命して来ます。その直後の経過は定かではありませんが、都知事が徳田さんにフジモリ
 大統領の新しい隠れ家を世話してやってくれと云う相談をした、この日の時点では作家の夫婦の
 三浦朱門さん曾野綾子さんが大統領をかくまっていらっしゃったそうです。
 ご夫妻は硬派の政治・世相についての評論もされますし、国際的なボランティア活動でも活躍され
 ていますが、さすがに亡命して来た他国の大統領を匿うと云う事の負担は物心両面で大変だったよ
 うです。そこで、都知事に適当な方に大統領をお願いする事ができないか御夫妻から相談があり
 何事にも剛腕を発揮される徳田さんに白羽の矢が立ったようです。


 
 亡命VIPのかくまい先の相談と云う、そんな、なんともドラマチックな話しで都知事が徳田さん
 をたずねて自由連合本部にやって来るのを父さまは、固唾を飲んで控えで待っていたのです。
 2~3時間待ったものか、階が違う徳田さんの党首執務室へ行くように秘書からようやく呼び出し
 がかかりました。
 
 自由連合党首執務室に入ると、正面に座った都知事が父さまの視界にまっ先に入って来ました、
 その右側のソファーに徳田さん、左側には野田将晴さんが座り、いつものように顔を上気させフガ
 フガ鼻息を荒くしていました。
 徳田さんが、部屋に入って来た父さまと鵤さんを『都知事を首相にと九州で運動している二人だ』と
 都知事に紹介しました。
 父さまと鵤さんは、福岡から持参した二千名程の『都知事を首相に』と云う署名と都知事を首相にす
 る会の趣意書を都知事に渡しました。
 都知事は立ち上がり片手でそれを受け取り応接のテーブルに置くと、
 『名誉な事だけれど、なんとも気恥ずかしいね』と一言仰いソファーに腰掛けられました。
 そして、再び立ち上がり『それでは行きましょう』一座に声をかけられ草々に次の場へ移動する事を
 促されたのです。この時、父さまは自分が部屋に入りる前にフジモリ大統領の件を都知事と徳田さん 
 が話していたと云う事は知りもしませんから都知事が仰る『次の』場所がまさかフジモリ大統領が
 待っているとある事務所などとは思いもしません。

 父さまは廊下に出て、徳田さん、都知事と並んで歩く、その後ろに野田将晴さんらとついて行きまし
 た。
 長身の都知事は白髪にあわせた、眩しいシルバーのスーツのズボンのポケットに右手を射し込んだま
 ま、少し上向き加減で何事かを考えていらっしゃつたようですが黙って父さまたちの先を行かれ.ま
 す。
 作家にして政治家といえばシェイクスピアがそうですし、第二次世界大戦中のイギリスを指導したウ
 インストン.チャーチルは画家でもありました。
 父さまは、政治家は文化人たるべしと云う思い込みがあり、現代日本の政治家の中で芥川賞受賞作家
 であり政治家である石原慎太郎都知事はまさに、その父さまの思い込みの政治家は文化人たれと云う
 政治家像の生き写しなのです。
 何より、若い頃から保守思想の本流の中に身を置いて来た父さまは保守派を代表する都知事の基本的
 な政治姿勢に傾倒しているですが、父さまにとってはもう一つ保守の流れを組む思想を基軸にした完
 膚なき改革と云うテーマが加わります。
 父さまは自らをよく右派改革派と呼びます。ウルトラ保守超弩級改革派などとも自称してい
 ます。父さまは、保守派こそが社会制度を革新していく役割を担わなければならないし、社会の本質
 的な革新を遂げる力は、本来の保守勢力にしかその持ち合わせがないと信じています。
 この辺りの父さまの、少し突飛で独自な考えの詳細についてはまた何れ触れるとして、右派改革派と
 云う父さまが云う政治の流れのカテゴリーからすれば、都知事となって都の政策を改革の方向へ大き
 く舵をとり実行して行く都知事の姿は理想の姿なのです。
 要するに石原慎太郎東京知事は父さまが頭の中でもっている政治家像の完璧な実体としての存在なの
 です。
 その都知事の後ろを父さまは、この時ただ黙って歩きました。
 徳田党首の執務室から廊下を歩いてエレベータの前まで20メーターもなかったろう距離を父さまは
 百メーターにもニ百メーターにも感じて歩いたのです。

 エレベーターの前まで立ち止まると徳田さんが『先方へ皆連れて行きたいがどうだ』と都知
 事に聞きましたが都知事は『事がことだから、同行は一人だけにしてくれ』と応えられました。
 そこで、エレベーターに乗り込み、自由連合の本部の所在地であるこのビルを出てたずねて行く先へ
 の都知事と徳田さんとの同行者は最年長の野田将晴のみと云う事になりました。
 父さまは鵤さんとエレベーターの前で都知事に挨拶をし、皆さんを見送りました。

 
 そして、
 野田将晴さんが都知事と徳田さんに同行して行った先にはフジモリ元ペルー大統領が待っていたので
 す。そして、この都知事、大統領、徳田徳州会理事長.自由連合党首が並ぶ写真が撮影されました。

 父さまにとっては、この写真が撮影される寸前まで自分も都知事や徳田さんと一緒にいたわけですし
 巡り合わせによっては自分も、この写真に並んで加わったかもしれないのでした。

 後日野田さんは福岡を訪れ、記念にとこの写真を父さまにくれたのでした。
 『自分もこの写真が撮影された場所にいたかった』と云う父さまの思いを野田さんは知ってか知らずか
 フジモリ大統領のお家がもともと野田さんと同郷の熊本と云う事もあって自分も大統領を何と
 か助けたいと熱く語ってらっしゃました。