以下の記事が目に留まったのがきっかけで、さらに以下に駄文を書いてしまった。
「テレビから消えた戦場カメラマン」
(日刊ゲンダイ 2014年03月08日10時26分)
まあ渡部さんはお元気ならいいんですけど(^_^)、ここに出てくる「戦場カメラマンの一番の願いは失業することだ」というキャパ(彼の業績にも、最近の沢木耕太郎の本も含めて様々な分析・評価がある)の台詞は確かに戦場をかいくぐってきた(そして最後は戦場に散った)彼の体験をして言わせた「名言」だとは思う。
でも……と考える。本当に「戦場カメラマン」はみんなそうなんだろうか。だって、中には「戦争や戦場や好きでたまらないから」とか「金儲けのためだから」という、ある種の傭兵のような感覚で戦地に赴く人だっているかもしれないし、「戦場取材で名前を上げたい」という功名心が動機の人だっているかもしれない。とはいえ、私は(個人的には戦争には反対だけど)そういう人たちも決して否定しない。
また一方で、戦争には反対だけど「でも戦争はこの世からなくならない」と悲痛な(もしくは達観した?)思いのもとに「戦場で実際に何が起こっているか」「戦場で苦しんでいる人たちのことを伝えたい」という人たちもいる。無論、そこでも単純な「正義感」ではなく「とにかくその場まで行ったうえで直に自分が見た現実を伝えたい」という、意地悪な向きから「好奇心」「怖いもの見たさ」じゃないかと批判される動機で動く人たちもいるだろう。私はそれも否定しない。というか、私自身は一番それに近いかな。
個人的に戦場取材はやったことがないけど、かつて1993年にバックパッカー旅行の最中、数ヶ月前に日本人2人(ボランティアと文民警察官)が殺害されたという時期のカンボジアに入った時(日本からの電話やその前に擦れ違ったバックパッカーたちからは「絶対行くな」「止めといたほうがいい」と言われたものの、ベトナムのホーチミン市まで来たら「落ち着いたみたいだから大丈夫だろ」と地元の日本料理店主に言われたんで、半ば恐る恐る入った)も、正直「怖いもの見たさ」だったものな。アンコールワットを見に行った帰りに空港までの道横にポル・ポト派(と、地元のバイクタクシーの運転手が説明してくれた)がずらりと並んでいたのには、ちょっとビビッたけど(^_^;
その後、フリーライターになってからだって、反対住民や右翼の街宣車が取り囲むオウム施設の中に一人で入っていったり、最近でも在特会系の連中による狂気じみたデモや、連中に面と向かって取材しに行ったのも、もちろん「目の前の状況に対しての猛烈な怒り」を覚えながらも、他方で「好奇心」や「怖いもの見たさ」で行ったことは否定しません。もちろん「功名心」や「これで一発アテてやるといった思いがなかたとはいわないけど、でもオウムにしろザイトクにしろ取材を始めて間もなく「こんなの名声にも評価にも何にもつながらねーな」と、とっくに見極めたうえで、今なおやっとります f(^_^;
そもそも「出版業界」とか「ノンフィクションとはいかにあるべきか?」とか、威勢よく人前で言ってる編集者とかノンフィクションライターの多くがどんなに「どうしようもない」俺たちにとって役に立たない連中かってこともわかった。今でもたまにこいつらの話を集会で聞くことがあるけど、そのたびに虫唾が走る。
んじゃ、それが「ジャーナリスト魂だからか?」とか言われたら、それには真っ先に両手で「×」印を作って「違います!」と言います。それでも「何で?」と聞かれたら「それが岩本太郎という男が選んだ生き方なんですよ」と答えるしかない。
だって俺、言ったもん。ある集会にパネリストとして呼ばれた際に「ジャーナリストたちの連帯がなぜできないのか?」みたいな質問が来たんで「ジャーナリストどうしなんかで連帯なんかするんじゃねえ!」って(「記者クラブ問題」がテーマのフォーラムだったんで、続けて「ジャーナリストの連帯の醜い帰結が今の記者クラブだろうよ」って言ってやろうとしたんだけど、そこは時間切れで言い損ねた)。
そもそも何で「ジャーナリスト」が「ジャーナリスト」同士で「連帯」なんかする必要があるんだよ。別に近所の八百屋のおっさんや農家のおばさんと連帯したっていいじゃないか。なのになんで「ジャーナリストの連帯」なんて糞っくだらねーものに拘る?
……なんて言いつつ「飽きたらそこで止めよ」とも思ってるんだよね。いい加減つかれたし(-_-;、いよいよ来月には50歳。齢もとった。それに本当は「50歳すぎたら宮脇俊三の世界をやろう」と思ってたんだけどな(笑)。
でも、ここで話を戻すと、キャパにしても彼が一番表現者として幸せで(もちろん「崩れ落ちる兵士」のこととかはずっと内心に残っていたんだろうけど)あったのは「戦場にいた」時期のことだったと思うし(実際、戦争が終わった後の写真なんかそんなに面白くないもんな。確かにイングリッド・バーグマンの写真とか印象的だけど、面白いのは写真以外の、彼女とのエピソードの話だもんな)、今なお彼が名声を保ち続けているのも「戦場に散った」からなんだろう。ここに「戦争を憎み」「「戦場カメラマンの一番の願いは失業することだ」と言っていた彼が英雄視され「表現者として幸せな死に方だったんじゃないか」みたいに言われるパラドックスが生じる。
(あのままキャパが長生きしていたとしても何か晩節を汚したんじゃないかという気もするしな)
ちなみに私は「オウム」も「ザイトク」も採算度外視で、金になるどころか持ち出しもいいところの状況でやってきたので「一番の願いは失業することだ」もヘッタクレもないんだけどさ(笑)。まあ、なるべく晩節を汚さないように気をつけましょう。憧れていた「50歳になったら宮脇俊三」の世界にはとうとう手が届かないまま終わりそうだけど(泣)。
しかし、こういうニュース一本を肴によくもこれだけ下らない記事を書けるもんだ。これも大好きなミュージシャンが「I Red A News Today,Oh Boy」と言って歴史的な名曲を書いたのに内心あやかってるつもりなんだけど、彼もキャパと同じ40歳で凶弾に倒れ、神格化された。いや、別に神格化されたいわけじゃないんだけど(^ ^; 彼らの享年を今や10年上回りつつあるところまで生きながらえてしまった俺は「無駄に長生きしてるなあ……」という気がして仕方ない今日この頃。
こんな世の中で、しかもこんな人生をこれまで送ってきて「長生きしたい」なんて思えるわけねーだろ。くそったれ馬鹿野郎。
「テレビから消えた戦場カメラマン」
(日刊ゲンダイ 2014年03月08日10時26分)
まあ渡部さんはお元気ならいいんですけど(^_^)、ここに出てくる「戦場カメラマンの一番の願いは失業することだ」というキャパ(彼の業績にも、最近の沢木耕太郎の本も含めて様々な分析・評価がある)の台詞は確かに戦場をかいくぐってきた(そして最後は戦場に散った)彼の体験をして言わせた「名言」だとは思う。
でも……と考える。本当に「戦場カメラマン」はみんなそうなんだろうか。だって、中には「戦争や戦場や好きでたまらないから」とか「金儲けのためだから」という、ある種の傭兵のような感覚で戦地に赴く人だっているかもしれないし、「戦場取材で名前を上げたい」という功名心が動機の人だっているかもしれない。とはいえ、私は(個人的には戦争には反対だけど)そういう人たちも決して否定しない。
また一方で、戦争には反対だけど「でも戦争はこの世からなくならない」と悲痛な(もしくは達観した?)思いのもとに「戦場で実際に何が起こっているか」「戦場で苦しんでいる人たちのことを伝えたい」という人たちもいる。無論、そこでも単純な「正義感」ではなく「とにかくその場まで行ったうえで直に自分が見た現実を伝えたい」という、意地悪な向きから「好奇心」「怖いもの見たさ」じゃないかと批判される動機で動く人たちもいるだろう。私はそれも否定しない。というか、私自身は一番それに近いかな。
個人的に戦場取材はやったことがないけど、かつて1993年にバックパッカー旅行の最中、数ヶ月前に日本人2人(ボランティアと文民警察官)が殺害されたという時期のカンボジアに入った時(日本からの電話やその前に擦れ違ったバックパッカーたちからは「絶対行くな」「止めといたほうがいい」と言われたものの、ベトナムのホーチミン市まで来たら「落ち着いたみたいだから大丈夫だろ」と地元の日本料理店主に言われたんで、半ば恐る恐る入った)も、正直「怖いもの見たさ」だったものな。アンコールワットを見に行った帰りに空港までの道横にポル・ポト派(と、地元のバイクタクシーの運転手が説明してくれた)がずらりと並んでいたのには、ちょっとビビッたけど(^_^;
その後、フリーライターになってからだって、反対住民や右翼の街宣車が取り囲むオウム施設の中に一人で入っていったり、最近でも在特会系の連中による狂気じみたデモや、連中に面と向かって取材しに行ったのも、もちろん「目の前の状況に対しての猛烈な怒り」を覚えながらも、他方で「好奇心」や「怖いもの見たさ」で行ったことは否定しません。もちろん「功名心」や「これで一発アテてやるといった思いがなかたとはいわないけど、でもオウムにしろザイトクにしろ取材を始めて間もなく「こんなの名声にも評価にも何にもつながらねーな」と、とっくに見極めたうえで、今なおやっとります f(^_^;
そもそも「出版業界」とか「ノンフィクションとはいかにあるべきか?」とか、威勢よく人前で言ってる編集者とかノンフィクションライターの多くがどんなに「どうしようもない」俺たちにとって役に立たない連中かってこともわかった。今でもたまにこいつらの話を集会で聞くことがあるけど、そのたびに虫唾が走る。
んじゃ、それが「ジャーナリスト魂だからか?」とか言われたら、それには真っ先に両手で「×」印を作って「違います!」と言います。それでも「何で?」と聞かれたら「それが岩本太郎という男が選んだ生き方なんですよ」と答えるしかない。
だって俺、言ったもん。ある集会にパネリストとして呼ばれた際に「ジャーナリストたちの連帯がなぜできないのか?」みたいな質問が来たんで「ジャーナリストどうしなんかで連帯なんかするんじゃねえ!」って(「記者クラブ問題」がテーマのフォーラムだったんで、続けて「ジャーナリストの連帯の醜い帰結が今の記者クラブだろうよ」って言ってやろうとしたんだけど、そこは時間切れで言い損ねた)。
そもそも何で「ジャーナリスト」が「ジャーナリスト」同士で「連帯」なんかする必要があるんだよ。別に近所の八百屋のおっさんや農家のおばさんと連帯したっていいじゃないか。なのになんで「ジャーナリストの連帯」なんて糞っくだらねーものに拘る?
……なんて言いつつ「飽きたらそこで止めよ」とも思ってるんだよね。いい加減つかれたし(-_-;、いよいよ来月には50歳。齢もとった。それに本当は「50歳すぎたら宮脇俊三の世界をやろう」と思ってたんだけどな(笑)。
でも、ここで話を戻すと、キャパにしても彼が一番表現者として幸せで(もちろん「崩れ落ちる兵士」のこととかはずっと内心に残っていたんだろうけど)あったのは「戦場にいた」時期のことだったと思うし(実際、戦争が終わった後の写真なんかそんなに面白くないもんな。確かにイングリッド・バーグマンの写真とか印象的だけど、面白いのは写真以外の、彼女とのエピソードの話だもんな)、今なお彼が名声を保ち続けているのも「戦場に散った」からなんだろう。ここに「戦争を憎み」「「戦場カメラマンの一番の願いは失業することだ」と言っていた彼が英雄視され「表現者として幸せな死に方だったんじゃないか」みたいに言われるパラドックスが生じる。
(あのままキャパが長生きしていたとしても何か晩節を汚したんじゃないかという気もするしな)
ちなみに私は「オウム」も「ザイトク」も採算度外視で、金になるどころか持ち出しもいいところの状況でやってきたので「一番の願いは失業することだ」もヘッタクレもないんだけどさ(笑)。まあ、なるべく晩節を汚さないように気をつけましょう。憧れていた「50歳になったら宮脇俊三」の世界にはとうとう手が届かないまま終わりそうだけど(泣)。
しかし、こういうニュース一本を肴によくもこれだけ下らない記事を書けるもんだ。これも大好きなミュージシャンが「I Red A News Today,Oh Boy」と言って歴史的な名曲を書いたのに内心あやかってるつもりなんだけど、彼もキャパと同じ40歳で凶弾に倒れ、神格化された。いや、別に神格化されたいわけじゃないんだけど(^ ^; 彼らの享年を今や10年上回りつつあるところまで生きながらえてしまった俺は「無駄に長生きしてるなあ……」という気がして仕方ない今日この頃。
こんな世の中で、しかもこんな人生をこれまで送ってきて「長生きしたい」なんて思えるわけねーだろ。くそったれ馬鹿野郎。