ふとみた「日本のジレンマ」。
不安をどう解消していくか、というテーマだったが、
「曖昧さ」にはある程度の「答え」が見いだせれば、ひとときでも不安から逃れられるという論に、反対したのが「正しさとは何か」と問題提起した男性。
そもそも「価値観」そのものを、自分で見いだしていく時代なのだという。本質を突く指摘だ。
なぜ、不安になるのか。それは世の中の、ある一定の「幸せ」をめぐる価値観にとらわれているからにほかならないと言うこともできる。

選択肢があるから、自由だから、自分の選択に責任を持たなければいけない分、不安なのか。
その次元の、もっと上に、自分の選択に自信が持てない=自分の価値観が揺らいでいる、という背景がある。

たとえば、26歳の今、何が不安か。
この先、この職業でいいのか。この先、結婚できるのか。この先、しっかりとした貯蓄を保って老後も安心して生きていけるのか。
でも、よく考えよう。職業も結婚していない自分も、結局は自分が選んできた「道」。自分の価値観で選んできた紛れもない「選択」の作出した結果なのだ。そう考えたら、納得がいく。というか、不安が解消される。不安になる理由、それは、自分の価値観や選択してきた道に、自ら疑いを持ってしまっているということの裏返しである。
「これでいいのだ」。

男性の理屈が心に響く。自分自身で、価値観を見定め、どう生きるかを選定し生きていく。そうすれば、人生の不安もあっという間に解消される。道は一つ、きれいに定まっていく。

スウェーデンでは、「規則や法律は変わっていく」という教育がなされているという。「規則がおかしいときは行動せよ。そうすれば奇抜なファッションでも認められるようになる」
自分の価値観が社会の主流になる可能性がある。だから、不安や抑圧を感じる必要はない。今ある、自分の外の価値観に照らし合わせて、自分の選択に、そして未来に自信が持てないのは、自分の行動がどう社会に影響を与えるのか、価値観を自由に持って良いのか、その部分が日本では揺らいでいるからだろう。
「規則を守ることを重視する日本とは違いがある」。

日本の常識=世界の非常識。
誰も、常識なんて定めることはできない。最期に残るのは自分だけ。