この間の、残忍な小学生殺害事件。その前にも、その前にも・・記憶に残る残酷な、許せない事件がいくつもあります。

 

しかしながら、どこか「またこんなことが・・」と怖くても油断している。

 

人に「地球が滅亡したらどうする?」と質問すると、「う~ん、とりあえず誰か探す」「食べ物を見つける」といった回答が出てくるのだとか。

 

・・・・いや、地球滅亡なんだから、自分もこの世にいるわけないじゃん?

 

っていうオチ。

 

でも、人の意識の底に「自分は大丈夫」という油断?余裕?があるんだと読んだことがあります。

 

それは、パンデミックを懸念する感染症や、事件事故、難病といわれる病気などいずれにも当てはまるのでしょうね。

 

”通常、日常では自分の身に起こらないであろうこと”だから。

自分が、実際に、体験経験しないとわからないし気づかない。

交通事故に遭って、九死に一生を得た人が初めて「本気で」気を付けるようになる。

大病をした人が、ようやく「真剣に」健康管理をし始める。

震災を経験して初めて、防災を「具体的に」考えるようになる。

 

子供の教育には特別熱意はありませんが、健康に、できれば楽しい人生を歩んでほしいという想いはあります。幸い、戦争も兵役もなく、衛生的にも恵まれた日本に生まれ、衣食住に困ることもない(だろう)家庭にいる。
私が子供に何を伝えるか・・

 

教えることは、「絶対に自殺してはいけない」「知っている人でも油断しないで気を付けること」

 

まずは、私が生んだ命を絶対に自分でなくしたらいけない、許さないと言っています。

どんなにつらいことがあっても、嫌なことがあっても、それを取り除くことはできるかもしれない。

でも死んだらもう、何もできない。もしそんなことしたら家族全員生きていられない、と。そのくらい大変なことなのだと。

 

もう一つの人を信用するな、なんて親の教えとして間違っているかもしれません。

ですが・・たとえ親兄弟であっても、何が起こるかわからない。

自分の身を自分で守ることを常に頭に入れておくように言っています。

 

たとえば、ニュースにならないような小さな事件は近所でも頻繁に起きています。

地区の防災防犯メールとして入ってくる情報は、ごく身近でのことばかり。

露出狂に遭遇した、下校時に自宅までついてこられた、車に乗せられそうになった、お菓子を渡された、声をかけられた、はたかれた・・・etc.

 

少し度を越せば、大変なことになるものばかりです。

だから、防犯ブザーはもちろんのこと、駆け込める「子ども110番」の看板がある家、遅くまで営業しているお店、逃げていい方向と入っていっては追い詰められてしまう方向を見ておき、大声を出すことや走って逃げることを繰り返し言い聞かせています。

 

保育園は朝預け、夜お迎えにいくまでそこで見ていてくれる安心感があります。

 

でも小学生以上は、学童が学内にないところもあるし、2年生以上にもなると学童は退屈だと勝手に友達と遊んだり、習い事が増えたり、気を揉むことがどんどん増えてきます。

だからといってすべて監視できるわけもありませんし・・

 

そして「女なら子供でもさわりたかったり、裸を見たい人がいるから怖いんだ」ということも。

知らない人はもちろん、宅急便や管理人、生協の配達、近所でよく見かける方・・

顔見知りだから油断しがちです。残酷な教えですが、男の怖さを。