2019年04月03日(水)
4月2日付読売新聞
「令和」の文字がデカい!
「令和」と一緒に写っているのは、管さんではなくて安部ちゃんだ。
↑鎌倉時代に作られ、すべての歌がそろった写本として現存最古の「西本願寺万葉集」を撮影したフィルムから取った梅花の歌序文
天平二年(730年)正月13日は、今の暦でいうと2月8日頃。
【引用箇所】
初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香
【読み下し分】
初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かおら)す。
【現代語訳】
新春の好き月、空気は美しく風はやわらかに、梅は美女の鏡の前に装う白粉のごとく白く咲き、蘭は身を飾った香の如きかおりをただよわせている。
(中西進「万葉集 全訳注原文付(一)」 講談社文庫
こちらの序文は、王羲之(Wáng Xīzhī、303年 - 361年)の書「蘭亭序(らんていのじょ)」の形式と同じだと指摘されています。
中国では唐の初めに漢詩に序をつけることが流行し、この傾向は万葉集の中にも入り込み、独特な表現様式を持つことになったそうです。
万葉かなではなく、表意文字としての漢字を使った漢文体ですもね。
そして、中国文化学者の加藤徹明治大学教授によれば、「令月」と「和」という組合せは、後漢時代の張衡(ちょうこう)の詩「帰田賦」の「仲春令月、時和気清」など中国の詩文集にもあるらしい。
(万葉集の引用箇所: 初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香)
ほんとに、そっくり!
私は、序文後半の「梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」は「離騒」の第六句の「披江离和香芷,纫秋蘭做佩巾」(江離と辟(芷を身にまとい、秋蘭を通して佩巾とす。)と漢字が三つ一致しているなぁ~と思うんですよ。
万葉集の方は「披」の漢字が「(梅が)開く」という意味で用いられ、離騒は「まとう」という意味で用いられいるし、「蘭」も万葉集はシュンラン、離騒は秋蘭(フジバカマ)、「珮」と「佩」は意味は同じだけど、偏が違う。
こちらの方はそっくりというわけではないけど、やっぱり中国文化の影響を受けていることがしっかり感じられる。
因みにこの序文を書いたといわれる大伴旅人は、藤原氏との政争に敗れた長屋王と親しかったために九州・大宰府に左遷中だったとか。
そんな境遇も屈原に似てる。
「令和」は史上初めての国書からの出典による年号ということだけど、年号は漢字二文字の組合せという縛りがある限り、中国文化の影響は免れないですね。
やっぱり、日本文化を謳うなら、ひらがな年号にしないとね。
「をかし元年」とか「わびさび元年」といった具合に。
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【メモ】
※披(pi1 まとう、開く、広げる)江离和香芷(zhi3)兮,纫(ren4 針の穴に糸を通す)秋(qiu1)兰做佩(pei4 帯の飾り玉)巾。