3年程、施設でお世話になっている「養母 ①(母方の祖母)」は、
大正生まれの94歳。(2017年時点。)
心臓疾患が治療不可となり施設入居したけれど、判断力は至って正常。
老人性難聴が始まったのは、70代。
かれこれ20年程、「耳が遠い」状態が続いています。
祖母曰く、難聴になり始めは、孤立感や疎外感に苛まれたとの事。
1対1で話す時はともかく、
複数名で話す時に「聴こえない」のは、結構な辛さの様です。
他の人達が楽し気に会話し笑っていても、内容が聴こえない。
「聴こえない」事を言えないまま、周りに合わせて笑う事などで
気鬱になり、塞ぎ込んだ時期もありました。
難聴が始まり早めの段階で、補聴器を利用。
それが功を成し、再び聴こえるようになって、
持ち前の明るさが戻り、気鬱から脱せた祖母。
趣味を作る心のゆとりも生まれ、モノ造りをし始めました。
10年以上使用していた補聴器は、耳の後ろに掛けるタイプで
結構な大きさと重さでしたが。
数年前に買い換えた補聴器は、イヤホンタイプでかなりの小型。
「補聴器専門店ヒヤリングストア(リンク)」で、誂えました。
補聴器購入後のメンテナンスはもちろん、
聴力変化の検査や、変化に伴う補聴器調整もしっかり行なってくれます。
難聴になってからの祖母は、「高音、早口」が聴き取り難く。
話し掛ける時は、「低音でゆっくりハッキリ」を心掛けています。
TVを視ていても、男声(低音)は聴こえ易く、女声(高音)は聴こえ難い、との事。
上記の「ヒヤリングストア」で、その理由を教わりました。
《低音》は音の波長が長く、《高音》は音の波長が短い。
難聴になると、音の波長が短い《高音》を拾い難くなる(個人差有り)、そうです。
つい先日、祖母が数日間の帰省をしていました。
施設〜自宅の行き帰りは、親戚の車で送迎を頼み。
自宅帰省している間に、祖母を連れて何ヶ所かへ外出。
補聴器利用していても、難聴を完全カバーするのは不可能です。
ここ数年、難聴者エスコートする際の大いなるキケンは、
《ながら歩き(自転車走行、ベビーカー押し含む)の突進》。
これね、ホント勘弁して下さい(T▽T;)
難聴に加え、脳梗塞の後遺症で右足麻痺が有る、母方の祖母。
外出する時は、シルバーカーが手放せません。
シルバーカーを押しながら、よろけない様に歩くのが精一杯。
そんな状態のヒトの、エスコート兼ボディガードをする身にとって、
《ながら突進者》は脅威であり、大いなるキケンです。
曲がり角などの死角から、《ながら突進》されるのが、一番困ります。
自分一人だったら咄嗟に避けられる《ながら突進》も、
難聴&歩行困難者のエスコート時には、回避不可。
祖母と突進者の間に入り、壁となって衝突を受けたコトも数知れず。
人混みをエスコートせざる得ない時は、あえて少し大きめの声で。
「ゆっくり歩こうね。」「足は大丈夫?」
「補聴器入れてる?」「私の声、聴こえてる?」
「周りに気を付けようね。」「よそ見歩きのヒト、多いものね。」
など、【歩行困難&難聴の高齢者エスコート中☆】を発信し、
周りの方々に注意を促して頂く様にしています。
病院や駅、デパート等だと、係員さんがサポートしてくれる場合もあるし。
スマホと睨めっこしている方々も、コチラが声を上げる事で、
幾らかは注意を向けて下さる様です。
明から様に舌打ちされたり、睨まれたりもしますけど
難聴が始まったら、早い段階での補聴器誂えが効果的、とのコト。
聴こえの悪さを放置しておくと、聴覚による脳への刺激が弱くなり、
認知症を始めとする様々な弊害も、起こりやすい様です。
何より、「聴こえない」事によるキケンは、沢山考えられますね。
家の中にいても、外を歩いていても。
御年94歳の、「養母 ①(母方祖母)」。
あとどれ位の間、家族として共に居られるか、わからないけれど。
若い頃からの苦労が多かった分、出来るだけ穏やかな時間を
過ごしてほしいと思います。