◆ボトル・アップはギターを買った♪ | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

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”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。

<<出身地はホームズ郡デュラント>>






彼は誕生日の日付を

1905年1月4日、


出身地は

ホームズ郡デュラントとして


ヤズー・シティで

よく知られていました。











「1920年から1930年にかけて

Robert Petwayを




(Robert Petway)




相棒に活動し始めて,


Lester Melroseに





(Lester Melrose)



発見された彼は


1939年に録音キャリアを

スタートします。」










”マイクに近づくための

最も猛烈なブルーズ・

シンガーのひとり”で


”彼自身を駆り立てている

活発なコメントで

録音は更に

エネルギーを与えたのだ。”

・・・でした。





(TOMMY McCLENNAN”Whiskey Head Woman”)





☆TOMMY McCLENNAN
”Whiskey Head Woman”♪








「彼は

Big Bill Broonzyの勧めで、




(Big Bill Broonzy)




1939年から42年にかけて、


Bluebird Recordsに40曲を

レコーディングします。」








それは

彼としても

ブルーズの底辺への

実力本位の進出だったのでした。







「彼は定期的に

友人のRobert Petwayと

プレイを続けたのです。」




(Robert Petway"Boogie Woogie Woman")




Robert Petway
"Boogie Woogie Woman"♪








でも、彼らの

レコーディング・キャリアは

1942年に両方とも

終わってしまい。







「それからシカゴに

移ったものの

パフォーマンスの報告も

少なくなります。」








Honeyboy Edwardsに寄りますと



(Honeyboy Edwards)





最後に彼に会ったときには


彼は大量に飲んでいて、

浮浪者のジャングルに

住んでいたそうです。







「そして彼は

1961年5月9日シカゴで



アルコール中毒、

気管支肺炎で亡くなった

とされています。」








<<トミー・マクレナン 3!>>



今回ご紹介するブルーズマンは

引き続きトミー・マクレナンです。




(今回ご紹介するブルーズマンは
引き続きトミー・マクレナンです。)





その様な様子で

彼は最期を迎えたワケですが・・・。





「ハイ」





彼の実力は例えば

 Big Bill Broonzy

に寄りますと・・・。





”彼は異なる

ギタースタイルの持ち主だった”





それから




”君がチェンジしている様に

感じるとき、


君はコードを作り

そしてチェンジしているんだ”




と評価しています。





「ウ~ン」

「これは・・・。」






そうですね。



彼のプレイは

通常のコードとは別に



オリジナルのコードを

使っていたのでは

ないでしょうか?





「なるほど」





それと、

そのコードを形作る速さが

プレイとまさに同時進行で

行っていた様にも

とれますネ!






「と、言うコトは・・・」






そうです!



彼は恐らくは即興で

オリジナル・コードを創って

プレイしてきたコトがある様です。




(彼は恐らくは即興でオリジナル・コードを創って
プレイしてきたコトがある様です。)






「 O H ! 」


「それは正(まさ)しく

天賦(てんぷ)の才能

と言うべきモノでしょうか?」







そうカモしれませんネ!



あと、

彼の評価に

ついてもう1つあります。






彼がグリーンウッドの周辺で

最も有名だった時に、



Charley Patton



(Charley Patton)




被保護者の

Booker Millerは


(Booker Miller on Patton's
“Shake It And Break ItHang It On The Wall“)




当時、彼の事は "Sugar,"

と呼ばれていて、




ヤズー・シティから

やってきたらしい

とだけ知っていたそうです。







「なるほど」


「同じ時代のパフォーマーとして

直接の挨拶はなくとも、


仲間内の噂(うわさ)で

耳にしていたのでしょうネ!」






そうですね。



それからです!





「ハイ」





彼が“Bottle It Up and Go.”



(“Bottle It Up and Go.”)




リリースした後に

Millerは彼のコトを


"Bottle Up"の相性で

呼んだそうです。





「 O H ! 」

「これは・・・。」





恐らくは

彼の実力を認めたのでは

ないかと思います。





「なるほど」





そして1937年にMillerが

プレイを降りたトキに


彼に愛用のギターを

売ったそうです。




(彼に愛用のギターを売ったそうです。)





「 O H ! 」

「ここで素直に

手渡さないトコロが、


Millerにしても

一癖(ひとくせ)ありそうな

人物の様ですね。」







そうですね。


Millerにしてみますと


彼くらいの実力なら

ギター代くらい

すぐに稼ぐことが出来るだろう。



と、そう期待を込めて

提案したのカモしれませんネ!






「なるほど」

「様々な意味を含めての

プロのパフォーマー同士の

世代交代の瞬間ですね。」







そうですね。


それから彼への

レスペクトの

エピソードとして



Bob Dylanが


1962年の

彼のセルフ・タイトルの

デビュー・アルバムで



彼の曲

"Highway 51"

をカバーしたのでした。




(Bob Dylan ” Highway 51”)




☆Bob Dylan - Highway 51 (1962) ♪













☆'My Little Girl'
TOMMY McCLENNAN (1940)♪


☆'Brown Skin Girl'
TOMMY McCLENNAN (1939) ♪


☆B'I'm Goin', Don't You Know'
TOMMY McCLENNAN (1940)♪


☆Tommy McClennan- Elsie Blues♪

☆Tommy McClennan-
Love With A Feeling ♪












☆トミー・マクレナン

Tommy McClennan

(1905年1月4日~1961年5月9日)



アメリカン・デルタ・ブルーズ・シンガー、

ギターリスト。




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ミシシピー・デルタより

ガラガラ声の怒りの喉を持つ

田舎黒人ブルーズ、

トミー・マクナレンは



シカゴで

メジャー・レーベルで

録音するため、



田舎スタイルのギターリストの

最後の波の一部だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
彼は

 "Bottle It Up and Go,"



("Bottle It Up and Go,")




 "Cross Cut Saw Blues,"



 ("Cross Cut Saw Blues,")




"Deep Blue Sea Blues"

 (別名"Catfish Blues"),

そしてその他に、



他のアーティストたちの再録や

レパートリーを通して

示された長く続いているパワーは

強烈な遺産を解き放った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・






<< 賛 辞 >>



”彼は異なる

ギタースタイルの持ち主だった”

Big Bill Broonzyは言った。




(Big Bill Broonzy)




”君がチェンジしている様に感じるとき、

君はコードを作り

そしてチェンジしているんだ”。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
他のブルーズマンは

ボリバル郡とヴァンスを含む

デルタで他の何処かで

彼のことを憶えていた。



しかし、

彼はグリーンウッドの周辺で

最も有名だった。


そこで、Charley Patton




(Charley Patton)



被保護者のBooker Millerは



(Booker Miller on Patton's
 “Shake It And Break ItHang It On The Wall“)




彼の事を "Sugar," と

ヤズー・シティとして知っていた。



そこで彼の最も有名な曲

“Bottle It Up and Go.”の後、

彼のことを"Bottle Up,"と呼んだ。




1937年にミラーがプレイを

やめたとき、

彼はギターをマクレナンに売った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・






John Faheyの



(John Fahey)



"Screaming and Hollerin' the Blues"は



("Screaming and Hollerin' the Blues")




Charlie Pattonと同世代のひとり


☆'Screamin' And Hollerin' The Blues'
 CHARLEY PATTON, 1929♪





Booker Millerのインタビューを

含んでいる。



そこで

Millerは

彼の名前を知らなかったが

トミー・マクレナンの様に

最も有望な誰かを言及していた。





”・・・そして私は

幾らかの録音を行なった

他の人物に会った。




彼ら(彼とWillie Brown)は



(Willie Brown)




一緒になり、


私が彼に会ったとき、

彼自身によると、


彼らは彼の事を

 "Sugar"と呼んだ。




私は決して "Sugar"として以外に

彼の事を知ることはなかった。



彼は ”Bottle Up and Go”

と呼ばれる録音をした。



・・・私は彼に

ギターを売ったのさ。”








Bob Dylanは1962年の

彼のセルフ・タイトルの

デビュー・アルバムで



トミー・マクレナンの

"Highway 51"

をカバーした。



(Bob Dylan ”Highway 51”)




☆Bob Dylan - Highway 51 (1962) ♪



                    (ウィキペディアより抜粋)

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