◆アリゲーターは信念によって生ず♪ | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。


<<ハウンドッグ・テイラー続く>>



いくら優れた才能があっても

それを育てて、カタチにして


伝えるコトが出来なくては

意味をなさない。



と言われています。






「確かにプロの・・・。

更にその第一線で

活躍されている方たちは


必ずと言って良い程

コーチがいますね。」






(第一線で活躍するプロには、コーチがつきモノ)






ヒトひとりが出来るコトには

限りがありますので、


自分の得意なコトに集中して、

残りは他の得意な方にお任せする。






そう言う意味で、コーチがいるコトは

自身を客観視して、

課題に集中して取り組める。




大変効率が良いと思いますし、

メンタル面でも非常に心強いですよね。







彼らにとっても必要なコトがありました。





「それは何でしょうか?」






大変破天荒な行動をとって

ライブなどをこなしていましたが、






「確かに、ワタシ的には、

彼らはライブのためにお酒を煽(あお)る

と言うよりは、


お酒を煽(あお)る間に、

ライブ活動をしている様に

思えますが・・・。」








(彼らは、お酒を煽(あお)る間に、
ライブ活動をしている様に思えますが・・・。)






その真意は今となっては

ご本人たちしか分りえないですからネ!





それでも凄いエネルギーで

観客を魅了して、

今までのバンドにはない

ライブでの活躍をみせたコトは間違いありません。





それでも彼らをもっと大きく売り込むための。



そのマネージメントをする

人物がいなかったのです。





「なるほど。

それは大切なキーマンですね。」


「それで、そのキーマンは現れるのですか?」






ハイ!現れます。



それが面白いコトに、

最初に彼とそのキーマンは

出会っているにも関わらず。





その時は会うだけだった様です。





「それはまた以外ですね。」




「ひょっとすると・・・。

またドラマーの時と同じ様に

出会ってから、

ようやく10年後に

活動を共にしたりしませんよネ!」






ご心配なく!

その1年後に

そのキーマンは彼らと行動を共にします。






(その1年後に、そのキーマンは彼らと行動を共にします。)






ちなみに・・・。



最初に彼とキーマンが出会って、

キーマンが彼に興味を示さなかった

その理由は何だと思いますか?




「・・・・」



「それは、おそらく・・・。」






ハイ。





「いつもの様に

酒浸りで演奏していて、

その様な彼に対して

あまり良い印象を持たなかったからでしょうか?」







残念ですが、違います。




その一番の理由は、


彼の演奏を聴けなかったタメだそうです。





「確かにそれでは、お話しは進みませんネ!」





そのキーマン。

偶然に彼らのギグにプラ~っと

立ち寄ったそうなのです。





「それで・・・。どうだったですか?」






彼は、すぐにHouseRockersに

夢中になったそうです。





彼は、すぐにHouseRockersに
夢中になったそうです。)






「それは良かったですね。」





エエ・・・。




「それからそのキーマンは

彼の曲を聴いてどうしたのでしょうか?」






実はそのキーマンは、レコード会社に

勤めていて、彼らと契約する様、

上司に進言したそうです。





「OH!さすがアメリカ人。

行動が早いですね。」






ところがその進言が

見事に却下されたのです。




「それはまた大きな壁が

立ちはだかりましたネ!」






ハイ。



そこで彼は決断します。





ちょうど遺産の2500$があったので、

それを使って”彼らのレコードを作ろうと・・・”。





「それは思い切りましたね。」





ハイ。


彼はそれからレコード製作と

ブルーズ・フェスティバルへの出演など

売り込みをかけます。





「とうとうエンジンがかかってきましてネ!」^^






ハイ!

レコードの初回プレスが1000枚だったのですが、

その1年後には、9000枚のセールスをして、






「OH!」






アルバム・タイトルになっている

Hound Dog Taylor and the HouseRockersは


ブルーズ・レコードの独立系レーベルとして

最大のセールスを記録したそうです。





(Hound Dog Taylor and the HouseRockers)





「素晴らしいです。」





「ちなみにそのキーマンをご紹介頂けますか?」






<<ブルース・イグロア登場!>>


ハイ!アリゲーター・レコード創業者。

ブルース・イグロアです。




(ハイ!アリゲーター・レコード創業者。
ブルース・イグロアです。






それから彼はアルバムのリリースのための

米国のツアーで大物とのコラボで企画したり、




セカンド・アルバムをリリースさせたり、




海外ツアーとしてオーストラリアと

ニュージーランドにも

これも大物とのコラボで参加させています。





「まさに波にノっている感じですネ!」






ハイ!彼らはバンドとして

そして人生としておそらく・・・。



最高の時を迎えていたと言って

良いかと思います。






☆Hound dog taylor - Let's get funky ♪


☆Hound Dog Taylor- It's Alright ♪


☆Hound Dog Taylor - The Sun Is Shining ♪



☆Hound Dog Taylor - See Me in the Evening ♪







☆ハウンド・ドッグ・テイラー HOUND DOG TAYLOR


本名:セオドレ・ルーズベルト・テイラー


 ( 1915年4月12日 - 1975年12月17日)


アメリカン・シカゴブルーズ・シンガー、ギターリスト






<キャリア>





60年代後半までには、ハウンド・ドッグは

シカゴのサウス・サイドの

フローレンス・ラウンジで定期的なギグを催した。






1969年の出来事はハウンド・ドッグのために

変化し始める。


彼は、将来のマネージャーと

彼を信頼した1人の男 Bruce Iglauerに出会う。




イグロアはEddie Shaw'sと呼ばれる

クラブでハウンド・ドッグと会い、


そこでハウンド・ドッグは他のブルーズ・マンと

共にジャムに参加していた。






それでも実はイグロアは HouseRockersの

ハウンド・ドッグの演奏を聞くことはなかった。





彼がシカゴに移り、

そして最終的に彼らのギグのひとつに

ぶらっと立ち寄るまでは。



彼は、すぐにHouseRockersに夢中になった。





彼はそれまではデルマーク・レコードに

勤務していた。






イグロアはデルマーク・レコードのボス

 Bob Koesterにハウンド・ドッグとの契約を

進言したものの断られた。




(Bob Koester)





”貧しい少年(プアー・ボーイ)だから何?”





彼はちょうど今2500ドルの

小さな遺産を受け取っていて、



そして彼自身がハウンド・ドッグの録音を決断した。





アリゲーター・レコードが生まれた。




(Alligator Records)




イグロアは新しいレーベルを

始めるつもりではなかったが、

それはその様に立ち上げられた。





1970年、ミシガン州のアンアーバー・

ブルース・フェスティバルに出演する。




翌1971年、ハウンド・ドッグ&ハウスロッカーズは

アリゲーター・レコードから

Hound Dog Taylor and the HouseRockersで

アルバム・デビューを果たした。




(Hound Dog Taylor and the HouseRockers)






それは現在主要なブルーズ・レーベルの

アリゲーター最初のリリースだった。






それは、ちょうど春の間の2晩、

スタジオでライブ録音された。


デビューアルバムは、

バンドのエネルギーの全てを捕えた。





ハウンド・ドッグは録音にために、

壊れたスピーカのシアーズ・ローバック・アンプ

と彼の50$の日本製のエレキ・ギターを使った。







1000$以下でマスター・テープは製造され、

イグロアの遺産の残りで1000枚プレスさえれた。




1年以内に、アルバム・タイトル、

Hound Dog Taylor and the HouseRockers

は独立系レーベルとしてブルーズ・レコードの

最大のセールスを記録した。





そして9000枚を販売した。





アルバム曲にひとつ、ハウンド・ドッグが書いた

"Give Me Back My Wig"

は彼の最も知られた曲になった。







Hound Dog Taylor and the HouseRockersは

アルバムのリリースの巡業

で米国のツアーを始めて、新しいファンを得た。



でもハウンド・ドッグのショーの内容については

何も変わらなかった。



彼はまだ同じ古い、安い日本のギターで

同じように同じ曲を演奏するだろう。





誰もベース・ギターで彼に追いつくことが

できなかったので、

ベーシストが追加されていなかったのだ。






イグロアはバンドを運営して

予約を始めた。全国をツアーして、

Muddy Waters





Hound Dog Taylor&Muddy Waters)




やBig Mama Thorntonたちと

演奏させた。




(Big Mama Thornton)






バンドは特にボストン地域で人気になった。


そこでハウンド・ドッグはGeorge Thorogoodと言う

若い子分を触発した。






(George Thorogood)






ライブ・アルバムの Live At Joe's Place

は1972年からボストン出演をドキュメントした。





(Live At Joe's Place)





ハウンド・ドッグは、1973年後半には

セカンド・アルバム

Natural Boogieをリリースし、

より偉大なスライド・ギターで満たされた。





(Natural Boogie)





このセカンド・アルバムのための全ての曲は

ファースト・アルバムを生産した’71年と

同じセッションで録音され、ミキシングされた。



しかし、この新しいアルバムは

それに感じてやや異なる、

それ自身の個性を持っていた。




ハウンド・ドッグ自身はファーストより

このアルバムが好きだった。


一般的にはハウンド・ドッグが評価したように

このアルバムは、多くの肯定的な評価を得た。









1975年前半には、ライブ・アルバムの

製作と決定した。





同年、ハウンド・ドッグと彼のバンドは

Freddie King




(Freddie King)





Sonny TerryそしてBrownie McGheeたちと

オーストラリアと

ニュージーランドでツアーした。





(Sonny Terry&Brownie McGhee




             (ウィキペディアより抜粋)



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