倭国の救世主・卑弥呼=天照大神 | 大放言の小さなブログ

大放言の小さなブログ

平凡な日常を愛する、心地良さ優先主義のtaoです

邪馬台国論16回目です。

 

これまでの話を簡単にまとめると以下の通りです。

 

・2世紀半ばまで倭国(北部九州)は委奴(イド)国を盟主とする

 連合体 であった。

・委奴(イド)国には代々王がいて彼らは皆倭国王だった。

・委奴(イド)国は、北は松浦半島、唐津湾から南は有明海までの

 大国で、最終的な王都は吉野ケ里。

・2世紀後半、倭国は寒冷化と自然災害(台風被害など)により

 大飢饉が発生し食糧争奪の倭国大乱となった。

・倭国大乱で委奴(イド)国王は権威と統治能力を失った。

・倭国は邪馬台国の卑弥呼に食糧支援や難民救済を

 お願いするとともに、倭国王として共立した。

・委奴(イド)国はなくなったが王都は伊都国として残った。

・卑弥呼は伊都国に一大率を置き、旧倭国(北部九州)を治めた。

・一大率は旧倭国(北部九州)の武装解除と農地回復に努めた。

・伊都国(吉野ケ里)から有明海を南下し九州西岸沿いを

 水行二十日で投馬国、現在の薩摩半島及び熊本南部

・伊都国から水行十日で八代付近に上陸し、九州を横断する

 陸行一月で邪馬台国、現在の宮崎県

・邪馬台国の南に狗奴国があった。

 現在の大隈半島(鹿児島県東部)と宮崎県南部。

・狗奴国は稲作地を求めて北上し、邪馬台国と衝突した。

・卑弥呼が死に、後に宗女の台与が女王になった。

・邪馬台国は狗奴国に宮崎平野の南側を割譲し和睦を結んだ。

・それに同調しなかった女王系の一族は、

 山間部および宮崎県北部に追いやられた。

・拠り所を失った邪馬台国の王族は新天地を求めて東へ旅立った。

 

前回は倭国と日本神話(記紀神話)の関係性について

少し書きましたが、神話の天地開闢からイザナギ・イザナミまでは

委奴国時代の話だと思われます。

つまり委奴国の最後の王(倭国王)が伊弉諾(イザナギ)になります。

 

のちに伊都国になる「伊」が使われているのは

偶然ではない感じがします。

 

2世後半、北部九州の大飢饉により大ピンチに陥った倭国王

イザナギは倭国救済のため決断をします。

王位と引き換えに南国宮崎の邪馬台国卑弥呼に

食糧援助と難民受け入れを要請しました。

 

この王位継承が神話ではイザナギの目鼻から

三貴神が生まれた話になります。

三貴神とは天照大神、素戔嗚尊、月読です。

 

魏志倭人伝で対応するのは

アマテラス=卑弥呼

スサノオ=(初代)一大率

ツキヨミ=卑弥呼に仕えていた男性、今で言うと官房長官。

という感じですね。

 

イザナギは王位を継承したのち隠居しました。

金印が出た志賀島あたりだと思います。

 

というわけで

魏志倭人伝と日本神話は関連していると思っております。