昨日は、富士山の五合目からの雲海を見てからの~
意識が雲の下か雲の上かという話をしました。
私は富士山信仰なんですが、といっても自分哲学での解釈信仰です (^^;)

すそ野は広がり広く繋がり、自身は凛として自律して進化していくという。
富士山も一つの「生命の樹」を表現しているという。

私の中ではカバラの生命の樹、キリストが十字架に掛かっている姿の生命の樹、お釈迦様が菩提樹の下で坐禅組んで入定した姿も生命の樹、そして岡本太郎の太陽の塔の生命の樹、それと同じように富士山からも生命の樹で人類の意識の進化を表現している象徴かなと捉えている。

こういう象徴からも真理は悟ることが出来るという
そして、雲海をみて、凛とそびえ立っているけどその上界か下界の意識を想像していたという話。

その意識の世界観の話をずっとしていましたが、
富士山の上界ではそこに居る間感動も感激も楽しさも感謝も湧く。
下界に降りると日常に意識も戻ってしまうと。

本来、真理は一体化で上界でも下界でも富士山の様に凛と堂々と生きることが出来ればという事だろうなと。
登るのが厳しい様に、上界で生きるのが自然と一体で厳しい様に。

そんな上界の意識の世界観と下界の意識の世界観って、交わる事があるのかなって思ったりするんですよね。
一体化になれば出来るし、理解しあえば出来るけど。

全く違う世界観だろうなと。
だからみんな富士山に憧れて登りたくなるのかなと !(^^)!
理解したくて、感じたくて、味わいたくて憧れるのかなと!
みんなが真理を求めたり、宗教を求めたりするのと同じで、
無意識に求めているのかなと (*^^*)

普段の生活の中の人間関係でも世界観が違う人と話していると、同じテーマでも全然理解が違う事がある。
同じテーマでも上界と下界で分断したりしながら、
頑張ってコミュニケーションをとり、理解を深め、交じり合うという。

一生懸命説明してても、あれっ?全然伝わってないなと思う事もあるし。
現に、このブログ記事なんて言うと、真理の話、意識の話、分からない人や興味がない人にとっては、全く違う世界観。

まあそれが上か下かという事を断言しないけど、見えるか見えないか、大きいか小さいか、広いか狭いかとかは分かれるでしょうね。
軽い意識と重い意識を考えると、軽い意識は上へ上がると言うんでしょうか!!

それでも、先に話した生命の樹で説かれるように、人類は微生物から恐竜から動物からとどんどん進化してきた。
人類だって細胞レベルや意識レベルの話で言うと、もっと進化していくんだと。
それを説いてるのが生命の樹。

普段から自身の理解を進化していく努力は肉体を持っている以上まだまだ尽きないなと !(^^)!

それをキリストは復活する事で意識は続くと証明したとされてる、
復活によって意識は血や肉に属さないと伝えながらです。
意識は上界へ進化していくんだと悟っているんでしょうね (^.^)

たまたま、この記事を書いている時にテレビで世界遺産のガウディのサグラダファミリアをテーマにやってた!
このサグラダファミリアも真理だなと。
完成しないまま続いているというところも魂の進化だと思うし、
所々にメッセージ性と真理を感じる。
ガウディの肉体を借りて、宇宙意識が伝えている事。
この芸術は凄いなと、スケールも半端ない、
番組内の説明では、未完成だけど、徐々に上下左右どこからの角度を見てもバランスが取れてくると。
ホントなら完成形が見てみたいですね (*^^*)