朝のTVで、ある職人さんが・・・・・
その人は、競輪選手とかの自転車のフレームを作っている人です
その一人一人に合わせ、体型・走り方、スピードなどを考慮して、ミリ単位で調節して作り上げていく仕事です
いつもこういう人をみるとただただ感心して、自分に自信がなくなるほどです
まあ自信がなくなるっていうのは今回置いといて・・・・比べるだけ無駄なことは分かってるんで
66歳なんだって
で、、、もうとっくに老眼が始まっているんだけど、そのミリ単位の仕事って大変なんだけど、老眼が始まってからの方が感が働き出したって言ってました
そうなんだよねって私も思うんです
目に見えない世界が在る事を信じている私は、特にその観点からそっちの方が本物のようだとも思う
人間って目の前の見えるものだけに集中していると、他が見えなくなるというでしょ
本来は見えてるものよりその周りの見えないものの方が割合が多く閉めているし、そのものの次元も高いんですよね
感・直感は、それ以上に意識の世界が、無限のパワーを発揮するんです・・・・職人魂みたいな・・・
そしてそんな風に生きる方が自分らしいようにも思います
たとえば、お金ばっかりに執着していると、それを何に使おうか、何のために貯めてるか、何で手放せないのか、何のために手に入れようと必死になるのかとか・・・見えなくなる
そんな様な感じ
近年、高齢者というか、年をとると白内障になる方が多いですよね
それももしかしたら、もうそんなに一生懸命に見える世界に執着するなという神様からの啓示じゃないかなと
すべてが・・・とは言わないけど、病気も事故も神様からの気付きのプレゼントとも言うからね
目の前が曇ってきて、視野が狭くなる、そうなると余計に不安になり・・・・負のスパイラルにはまる
なんでも程々が一番ですよって感じ
話はそれたけど、私も子供の頃から近視と乱視で、最近老眼も少し出てきてるのよね
なので、手馴れた用事ぐらいやったらぼんやりと見えてるだけでも感でやってのけられる
その中で、ちょっと真剣にならないといけない時はめちゃ集中力
そんなことだろうね
昔みたいに必死に何かを見ないといけないことがないので、たとえば勉強のときのとかみたいに・・・・
程ほどに世の中をとか、この見える世界の何かに執着することを少しずつ解放していこうと思ってます・・・
気楽に生きたいもんね
その人は、競輪選手とかの自転車のフレームを作っている人です
その一人一人に合わせ、体型・走り方、スピードなどを考慮して、ミリ単位で調節して作り上げていく仕事です
いつもこういう人をみるとただただ感心して、自分に自信がなくなるほどです
まあ自信がなくなるっていうのは今回置いといて・・・・比べるだけ無駄なことは分かってるんで
66歳なんだって
で、、、もうとっくに老眼が始まっているんだけど、そのミリ単位の仕事って大変なんだけど、老眼が始まってからの方が感が働き出したって言ってました
そうなんだよねって私も思うんです
目に見えない世界が在る事を信じている私は、特にその観点からそっちの方が本物のようだとも思う
人間って目の前の見えるものだけに集中していると、他が見えなくなるというでしょ
本来は見えてるものよりその周りの見えないものの方が割合が多く閉めているし、そのものの次元も高いんですよね
感・直感は、それ以上に意識の世界が、無限のパワーを発揮するんです・・・・職人魂みたいな・・・
そしてそんな風に生きる方が自分らしいようにも思います
たとえば、お金ばっかりに執着していると、それを何に使おうか、何のために貯めてるか、何で手放せないのか、何のために手に入れようと必死になるのかとか・・・見えなくなる
そんな様な感じ
近年、高齢者というか、年をとると白内障になる方が多いですよね
それももしかしたら、もうそんなに一生懸命に見える世界に執着するなという神様からの啓示じゃないかなと
すべてが・・・とは言わないけど、病気も事故も神様からの気付きのプレゼントとも言うからね
目の前が曇ってきて、視野が狭くなる、そうなると余計に不安になり・・・・負のスパイラルにはまる
なんでも程々が一番ですよって感じ
話はそれたけど、私も子供の頃から近視と乱視で、最近老眼も少し出てきてるのよね
なので、手馴れた用事ぐらいやったらぼんやりと見えてるだけでも感でやってのけられる
その中で、ちょっと真剣にならないといけない時はめちゃ集中力
そんなことだろうね
昔みたいに必死に何かを見ないといけないことがないので、たとえば勉強のときのとかみたいに・・・・
程ほどに世の中をとか、この見える世界の何かに執着することを少しずつ解放していこうと思ってます・・・
気楽に生きたいもんね