この曲聞いた?きいた?きいたー??

めっちゃかっこいいよー!






元欅坂46の平手友梨奈さんこと、てちのソロ曲!!!



めっちゃくちゃのアイドルオタクではないのだけど、気になる子がいると漁るように情報を集めたくなるわたしww



平手ちゃんは、弱冠14歳にして秋元康の傘下の欅坂46のセンターを務め、紅白にも出場して、圧倒的な表現力でパフォーマンスしてきた。



でも、アイドルとして、そしてセンターとしての重圧に耐えられなかったのか、精神的に限界を迎え、度重なる体調不良の中、ギリギリのところで活動をしていたのだけど、2019年に約5年ほど続けた欅坂46を卒業。



そして、この度のソロ曲よ!!!






かっこくぃいいー!!

なにこの目線、相変わらず最高じゃなぁい♡



歌詞もなかなか秀逸。

秋元康が書いた詞なので、平手ちゃんのこととは限らないけども、彼女のことを重ねてしまうファンは多いはず。









過去の彼女を少しばかり知った上で、PVの彼女をみて、そして歌詞をみてみると、大変に感慨深い。



さてさて、そんな彼女から学べることはたくさん!



まず、圧倒的にパフォーマンスがよくなっている(上から目線w)。



一皮剥けたように、溌剌と踊っているし、何より迷いがなく本人が楽しそう♡



思う存分に、カラダを使って、のびのびとパフォーマンスしている。




対してこちらは紅白で倒れる寸前になった楽曲のPV






曲を体現しているというのもあるけど、全力でアクセルを踏みながら、全力でブレーキを踏んでいることが伝わるだろうか。




心とカラダがバラバラなのだ。

もとい、

思考と心とカラダとがバラバラなのだ。




バラバラになってしまうと、“自分”というものがわからなくなってしまう。


果てには、世に言う精神病の類のように症状が出てきてしまう。




一方でメリットもあって。

その危うさが、人を惹きつけるパフォーマンスを引き出すことになる。



人はなぜか、狂気に憧れたり、誰かの苦しんでる姿に美しさをみてしまったり。

そんなマイナスの魅力が全開になる。
でも、それではいつまで経ってもマイナスのまま心もカラダも衰弱してしまう。




だから、表現者というのは昔から紙一重で。

役者や歌手、音楽家、作家や絵描き…など、

ありとあらゆる芸術に携わる人が疲弊していってしまう原因の一つが、この、心とカラダのバランスの取り方なのだ。




『不協和音』のまわりの子達と平手ちゃんとを見比べてみてほしい。



周りの子たちは“自分”という意識を持ったまま表現している。自らの意思をもってこの楽曲を踊っている。つまり、“自分”と“楽曲の意識”を分けている。


平手ちゃんは意識が楽曲の中にのめり込み、凄みはあるが、“自分”という意識と“楽曲の意識”に境界線がなくなり、そうなることを無意識下でカラダが拒否している。




憑依型なんていう言葉があるけれど、憑依なんて本当にされたら、それは表現者じゃなくて、イタコか霊能者か精神病だ。




じゃあ、凄みをそのままに、圧倒的なパフォーマンスをするためにはどうすればいいのか?




それは、“自分”という意識を常に持ち続けること。


よくスポーツ選手なんかがゾーンに入ると言われるのような状態になればいい。



これはね、快感こそあれ、心とカラダを消耗するような疲弊感は起こさない。



なぜなら、

思考と心とカラダとが
ひとつだから。



一つのことを表現するために、思考と心とカラダがそれぞれの役割を受け入れ、請け負い、ベストを尽くす。



その状態をいかに作れるか、ということ。

そして、それに向けて進み出しているのが、平手ちゃんの新曲!





圧倒的な中に、“狂気”ではなく“歓喜”があるよね。




では、次回はそんな意識の居場所を考えてみよー!