西郷隆盛の曾孫さん講話!
今朝は、西郷隆盛の嫡男で侯爵の、西郷寅太郎の孫である、西郷隆夫さんの講話「子孫から見た西郷隆盛」を拝聴に。
大の西郷ファンであり、自身も西郷についての講師をしている私としては、必聴のセミナーだったので、朝4時に飛び起きて、木更津市倫理法人会に参加してきました。
さすが西郷家の方あって、独特のゆっくりした雰囲気、温かい人柄で、とても染み入るお話でした。
現代版「敬天愛人」といいますか、「立派な人間になろう」という目標を、若者も社会全体も失いつつある中、一服の清涼剤のような素晴らしいお話でした。
隆夫さんのプロフィールと、講話メモです。
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1964年神戸生まれ。百貨店勤務を経て郷里鹿児島で食品事業に携わり、後に(株)開墾舎を設立。
幕末の偉人である曽祖父・隆盛の「敬天愛人」 の志を受け継ぎ、西郷銅像にほど近い二の丸ビルに「西郷隆盛銅像展望ホール K10カフェ」をオープン。その傍らで、西郷隆盛にまつわる歴史を語る活動にも力を入れる。
モットーは「人を信じること、他人の痛みをわかってあげること。すべての人に誠意をもって接すること。先祖を大切にすること」
座右の銘はもちろん「敬天愛人」
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大河ドラマ「西郷どん」は、
細かいところは史実と違う。それを指摘する人もいる。
たとえば、3人目の妻の「糸子」は、年の差16歳。ドラマで黒木華さんが演じているような、幼少期に一緒に過ごすことはなかった。
上野公園の西郷さん銅像で、日本で初めての「除幕式」を開催
はじめは軍服姿で皇居前につくることを考えられた、が、さすがに敵の大将の銅像をそうはできない。
そこで犬を連れた、庶民的な銅像となった。
それを見て糸子は「違う!」と話した。それが記者などには「似ていない」と間違えて伝えられた。都市伝説。
自分は糸子の子供、寅太郎の、孫にあたる。
寅太郎は糸子似。自分の方が隆盛に似ている(笑)
キヨッソーネの写真は、おそらく正確。
西郷は悩みがあると、キセルで右の額生え際を、かく癖があった。それも正確に描写されているので。
従僕のクマ吉は、3人の奥様より長く、西郷とつれそった。
明治19年、目黒の庭師。
せごどん=さ(せ)いごう、とのさん 、を略している。
当時、せごどん、という人はいなく、後世の呼名。
言葉の語尾があがる。韓国語に似ている(笑)
西郷さんの人間力…
自分は父が大正2年生まれ。52歳の父だった。物心ついたときはお爺さんしか家にいなかった。
自分は神戸生まれ、家だけ鹿児島弁。でも何度も聴いていると話せるようになる。
鹿児島では「弱いものをいじめない」を何千回も繰り返す。すると、本当にいじめなくなる。
西郷はなぜ出世したか?
それは、母が偉かった。世の偉人もほとんど、元服までは、母のおかげ。母親の毎日の口癖が、人間を作る。
母…「貧乏は恥ではない。貧乏に負けるのが恥だ」
現代のお母さんは「はやく◯◯しなさい!」ばかり。なぜ早く!なのかがない。
薩摩が早いのは、参加者が理由に納得しているから。
西郷さんは、マネジメント力があったわけではない。
知行合一=行動、プラス、「気配り」と「ゆるす」
農民が誤ってかけてしまったとき、西郷は「すまんかった」
逃げ道を作る叱り方。
大久保は逆。
西郷のすごいのは、必ず「承認をする」ところ。
承認、承認、承認。
間違いは自分が責任を取る。
これで人は集まって来た。
西郷は太陽、大久保は月。
書類が来ても、西郷は誰が書いた? 大久保は何が書いてる?
この両輪が噛み合った。
敬天愛人…
我を愛する心をもって、他人を愛するべし。
糸子…
お祖父さんは、いつも抜き足差し足で入ってきて、ご飯を食べて「おいしいおいしい」
そのあとは膝枕しながら話した。
敬天愛人は、愛は耐えること、ゆるすこと、愛することは愛されること。
地域の歴史を知れば知るほど、日本人としての誇りを持てる。すると他国をも尊敬できる。今はそれが逆になってしまっている。