金子が、アメリカで2回目の演説を行なった舞台は、母校のハーバード大学でした。

 

演説の前に金子は、留学時代の恩師から、「ハーバードに聞きに来る人は知識人を自認していて、長時間にわたり人の話を聞くことなどしない。よって、演説は短め、45分以内に終了すべし」と忠告されていました。それにもかかわらず、金子は日露開戦に至る経緯などを、1時間半もの長時間にわたって熱弁してしまったのです。しまった、と思った金子は、演説を途中でやめて終了しようとし、聴衆に御礼を言いました。

 しかし、聴衆は怒るどころか、金子が演説をやめることに対して「ノー、ノー」と大声をあげ、最後まで話すよう要求したのです。

 そこで、金子は演説を続けます。「日露両国には圧倒的な国力の差があるが、それでも我々は戦う。もし敗れたとしても、後世の人が、昔、日本という正義の国があったが、暴れるロシアによって滅ぼされた、と記憶してくれればそれで我々は満足だ」と、日本人の決意を訴えます。聴衆は拍手喝采。結果的に2時間15分の大演説となりました。

 

この頃から、直接金子の訴えを聞いたオピニオンリーダー層の共感が一般国民にも伝播し、それまでロシア支持に傾いていた米国世論が、急速に日本友好へと変わっていきました。

(続く)