久坂は、「村塾の双璧」と称され、吉田松陰先生と強い師弟愛で結ばれていました。松陰先生は、『玄瑞は年こそ若いが、志はさかんで気魄も鋭い。しかも、その志気を才で運用する人物である』と高く評価しています。その信頼関係たるや、松陰先生の妹・文と久坂を結婚させるほどでした。

 松陰先生の死後、久坂はその遺志を継ぎ、維新成就に突き進みます。松陰先生の尊王攘夷論を展開して、坂本龍馬・西郷隆盛等の全国の志士や改革派の公家、三条実美・姉小路公知などと交流、尊王攘夷運動のリーダーとなっていきます。龍馬が土佐藩を脱藩したのも、久坂の熱意に共鳴してのことでした。

 しかし、1864年、久坂は長州藩と幕方との紛争「蛤御門の変」で窮地に追い込まれ、自刃。25歳の若さで亡くなります。が、維新は終わりませんでした。久坂の遺志を今度は高杉晋作が継ぎ、維新を成就させます。

松陰先生の思想と一体となって先頭を走り抜いた久坂玄瑞。久坂無くして志士達が立ち上がることは無く、維新も成就しなかったと思われます。

久坂の、熱く短い生き様は、現代の危機に立ち向かう我々の心を激しく揺さぶります。


(写真の出典:Wikipedia)