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私の政策秘書、久本秘書による、若葉区倫理法人会での講話。…

・政治家は、二期目が危ない。一期目の実績に自信を持ってしまい、油断が生まれ、落選することが多い。久保亘議員についたのもそんなときだった

・色々な経験をした。落選中の秘書、当選して野党、野党幹部、与党幹部、与党幹事長、大蔵大臣秘書官、と変わった。見ててわかるが、地位があがると人は寄ってくる。一番大事な後援者は、落選中に応援してくれた人だった

・役所から資料をもらうにも、野党だと閣議決定後だが、与党だと前日、幹部だと3日前、閣僚だと1週間前。やはり与党でないとダメ

・閣議はハンコを押すのが中心。それで終わってしまう。閣議と別に懇談会があり、こちらは充実している

・細川内閣は7会派をまとめるので大変だった。政策協議も夜10時から夜中まで議論し、その後更に総理公邸に報告。それが毎日

・細川内閣、自社さ政権となった。社会党左派が工作して内閣。村山首相が就任3日で胃痙攣で倒れたときは、政局や国際関係を考える

・組閣するときは組閣本部つくる。通常は首班指名受けたら、その日のうちに大臣を決める。江田憲二さんは橋本内閣の首席秘書官。39歳は異例。その江田さんから組閣本部に久保さんが来るよう求められ、大臣を引き受けた

・閣僚に任命されるとき、始めは断るつもりだったが「龍ちゃんに負けた」組閣が遅れると、批判を受けるのに、橋本さんは久保さんが引き受けないと組閣やめると言い出した。ゆえに渋々引き受けた。住専でもめていたので大変だった

・内山晃先生とも、たまたま少しのご縁で、少し手伝った。そしたら小泉さんの郵政解散。選挙は大変なものなので、解散の日に辞職して応援し、なんとか勝った

・内山事務所の四代目政策秘書になったが、相性が合う合わないが大きい。短い人もいるが、自分は8年やった

・解散後に松浪健太事務所に集まり、同じ千葉だからと、田沼さんに会った。何のために政治家なったのかと尋ねた。きちんと答えられない人もいる。しかしキッパリ教育改革を語っていたので、ついていくと決めた