忙しい。
でも会った人からは、「元気そうだね」「精悍な顔になったね」と言われる。
自覚症状はないが。。。
8月2日
東大の後輩の、結婚式2次会に行く。
同時刻に、長沼では、ダイエー敷地内でのお祭りがあったと聞く。
本来なら、お知り合いも多いので、ご挨拶参るところだが、後輩の人生の門出を優先した。
私も早く結婚しなければ。
会場は、、、なんと、東大!
いまは独立行政法人化して、東大内もだいぶ資産活用がすすんできたようだ。
しかし結婚式場までできるとは、、、すごい。
二人とも東大のカップルということで、選んだようだ。
我が母校も日々進化している様子だ。
8月3日
3日連続で、早起き。
この日もやはり、2時間睡眠で、早朝勉強会に。でもいい内容だった。
世直しの基本は、家族にあると、改めて実感する。
すんでいるマンションから。4時過ぎだと、真っ暗・・・
以降は事務にいそしむ。結局23時まで、事務所に缶詰め。新しく買ったプリンターのセットアップなど。ITパワーをもっと向上させたい。
8月4日
早起きが続いたので、どうせならもう1回と、朝に駅立ち。今週は(も?)多忙のため、できるときにやらねば。
夜、会合。遅くまで語る。
8月5日
早起き続きで、美浜区の倫理法人会に出席。DJコウサクさん。環境問題への取組みを熱く語る。
事務をこなし、
夜、政経倶楽部関連の打ち合わせで都内に。新しい仕事。
生計を立てるため、仕事を増やさねばならないが、安請け合いはできない。自分の能力や時間をみながら、やらねばと思う。
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どうも、「田沼が政治に再挑戦できるのは、家庭が裕福だから?」と誤解している人もいるらしい。完全な誤解である。全く持って、苦しい中、やっている。
前回選挙で、貯金、退職金とも使い切った(それでも全然足りなかったが)。そして次回再挑戦のため、生計を立てながら、頑張って貯金をしているのが現状だ。
無所属ゆえ、仕方ない。
政党公認なら大小の活動補助が出るが、それは私にはない。
それでも私は、しがらみを作りたくない、信念を大事にしたい、と思い無所属を選んだ。
自ら引き受けたリスクだ。
(いつか私も、信念をともにできる政党が表れたら、身を投じるだろう。あるいは自ら旗振りとなるか。。。)
生活するだけならよいが、政治活動に時間を割かねば再選は覚束ないため、十分、生計のための仕事(ビジネスと呼ぶ)もできないのがつらいところだ。このブログでもお分かりの通り、私はかなりの時間を、政治活動、修行活動に充てている。政治・修行活動は、ビジネス時間(とそれから得られるはずの所得)を犠牲にして、やっているのだ。
世の中に、政治を再挑戦する人が少ない理由は、おおむね上記のようなものだろう。
政治活動を継続するには、犠牲が必要だからだ。
ゆえにどうしても、前回応援してくれた人が次回は離れてしまう、などのこともあるらしい。
私も、応援いただいた方に、十分意を尽くせているとは到底思えない。申し訳ない。
ただ、このブログをご覧の方には、その辺の状況もぜひお伝えしたいと思っている。
わかりやすい政治、伝えていく政治が、私のモットー。
私はあくまで、民間の目線であり続けたい。
8月6日
今日も怒涛の連続早起き。早朝勉強会に行く。
広島に原爆が落とされた日。その苦難と復興努力に思いを馳せつつ、日本再建を誓う。
数年ぶりに、海に行く。千葉の海はきれいだ。千葉県民で良かったと再認。
さすがに夜は早めにダウン。暑さ疲れか。
8月7日
お世話になっている経営者の方の集まりで、ある金融機関幹部の方とお会いする。
できる男のオーラをビリビリ感じ、非常に刺激となった。
スピードでは負けない!とのこと。感服。
夜中までかかって、翌日の合宿の準備。またもや半徹夜。つらいが修行だ!
8月8日
政策勉強会の合宿で、谷川へ。
山が美しい。海と山、両方来れたのなんて、何年ぶりだろう。美しさに目が眩む。
合宿所。電波なども全く入らない。缶詰めになって、議論を続けた。
8月9日
夕方帰京。
一昨日お会いした方に、再び駅で会い、小児医療についての政策検討の参考になる資料を頂く。まさにスピードの男!
自宅に本も買わない、とのこと。図書館で1日10冊借りて、1時間で全部読む、1冊は5分までで拾い読みをする、図書館は我が書斎、とのこと。再び感服。
私も、スピード第一になりたい。まずは身辺整理を進めなければ。
そのあと合唱団の練習。ブラームスの「ジプシーの歌」。
情熱的で、かつオーソドックスなドイツ音楽ではない、エキゾチックさがある。非常に面白い曲だ。
9月21日コンサートでやるかもしれないそうだ。ぜひお越し頂ければと思う。
http://ameblo.jp/tanuma/entry-10109249612.html
8月10日
叔父は52歳という若さでなくなった。
私は何もできていないが、叔父の分も頑張らねばという感覚は、やはりあるのだと思う。
叔父についても触れた、3年近く前のブログ投稿があったので、引用する。
●死生観
http://blog.livedoor.jp/ttanuma/archives/50327432.html
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「誰かのために生きる」
それは簡単ではない。厳しい。
しかし、反面、本当の生の充実もある。使命感を得られる。
人が幸福になるには、制約からのがれる「自由」も大切だが、自分が存在する理由である「宿命・使命」も大切と思っている。
単なる自由は、逆にコントロールが難しい。恵まれた若者の退屈そうな顔がそれを表している。
貧乏という宿命をもった発展途上国の子供たちの、目の輝きは、否定できない魅力をもっている。
私たちにとって、自らの宿命、使命を、しっかり感じながら生きていける社会。
そんな社会を私は作りたい。
そのためにも、親や先祖、そして子供や孫といった、縦のつながりの中に自分がいることを確かめられる、歴史教育が重要だと思っている。
また家族の絆を何よりも大事にする価値観を、応援して行きたいと、思っている。家族を守ること以上の使命は、人にはないはずだから・・・