「…さとしくん…智くん…」

遠くから遠慮がちに自分を呼ぶ声がする。
わかっていても深い眠りの底にいる智はなかなか浮上出来ないでいた。


「智くん、具合が悪いの?
…ねぇ、智くん…大丈夫?」

そっと背中に添えられた掌はやがて強めに大きく擦られた。


「うぅんん…。翔くん…?」

寝惚けまなこに映ったのは心配そうに自分を覗きこむ翔の顔。
既に日の光はとっぷり落ちて暗くなっていた。

昨夜の騒動の上、早番だった智が二宮のソファで寝れたのは三時間弱。
夕方の早い時間に部屋に戻った智がちょっとだけ眠るつもりで炬燵で横になったのだが…。



「うぇ!?翔くん?今、何時?
ご、ゴメン。オイラ、夕飯の支度…。」

「いい。いいって。そんなに遅くないよ。
なかなか眼を醒まさないから心配しただけ。
今日は銭湯に行く日じゃない?
ちょうどいいから、帰りにおでん食べて帰ろうよ。」



智の部屋のユニットバスは最小という表現があるのかは知らないが、古い和式の便所があった場所に無理矢理設置されたモノで、ともかく使いづらい。
智はほとんど、整備場のロッカー室にあるシャワーで済ませていた。

だが翔はコレを使うわけで、初めの頃は『ヒェ!』とか『ヒャ~!』とか、叫び声を上げながらシャワーを浴びていた。
黒カビが浮いたシャワーカーテンが素肌に張りつくらしい。
かといって、カーテンをしなければトイレまで床がビショビショになってしまう。

普段はそれで我満する分、週2~3回銭湯に行く事にした。
翔は下町の銭湯がいたく気に入ったらしい。

激熱い湯船に入れないのを爺ちゃんたちに嗤われ、むきになって浸かる負けず嫌いな翔を智は微笑ましく見ていた。

『ねぇ智くん、見て見て!』
智の横の風呂のイスに座った翔を見た智は思わず吹き出した。
翔の肌が見事にはっきりと紅白になっていた。
『スゴいでしょ!』
笑う智を見て、翔は嬉しそうに微笑む。



正直に言うと、智は翔といく銭湯は嬉しく楽しいけど…少し困る。
熱湯風呂に入ったわけでもないのに、ドキドキと胸が苦しくなる。
翔の白い肌をみると、特に鼓動が強く感じてしまう。
なら見なければいいのに、翔の隣にいると頭を洗う翔の撫でた肩、意外についた背中の筋肉、そして腰からお尻へのラインと眼で追う自分がいる。

それでも、翔と肩を並べて歩く銭湯への行き帰りは喜びしかない。



「よう。兄ちゃんら、また来てたのか。
一緒に棲んでんのか。」

そう話しかけたのは爺ちゃんというより、アンちゃんとの呼び方があう五分刈りの目付きのキツい男だった。
男の風貌を見た智の顔が途端に強張った。

瞬間、さりげなく翔が智を隠すように男と智の間に入る。
そう男も気付かないほど自然に。



「ハハハ。俺が転がり込んだんですよ。
1ヶ月だけ住むところがなくて、助けてもらったんです。」

『そうか。1ヶ月か。なるほどな。』
男は翔に『1ヶ月だけって住むところが難しいんだよな』とか話し続けていた。


1ヶ月…。
あと、1週間?十日?
翔くんの試験まで、もう間もない。

それを合格したら、もう…。

智は胸の前でギュッと手を握りこみ、うつむいた。



「智くん。どうしたの?やっぱり体調悪いんじゃない?」

「ううん。大丈夫。
翔くん、今夜も勉強するんでしょ。
やっぱり何か買って帰ろうか。」


「う~ん。勉強はもう良いかなぁ。
自分で考えられることは全部したと思うし。
今日は智くんとおでん食べて、ゆっくりしたいかな?」


翔がマフラーを巻きながら、屈託なく笑う。
昨夜、相葉が言っていた事が甦る。

『翔ちゃんが合格出来るかって?
当たり前じゃん。翔ちゃん、優秀だよ。
翔ちゃんが勉強頑張ってるのは合格するためじゃなくて、試験問題を完璧に解くため。
誰にも文句が付けられないぐらいに完璧にね。』


翔くん…。
オイラが翔くんに出来ることは何だろう。

もしオイラといる事で、翔くんの支えになるのなら、こんなに嬉しいことはないよ。


「うん!おでん、食べて暖まろうか。
オイラは大根と、がんもどきに竹輪食べよっと。」

トン。
智の腕が翔の腕に触れる。
翔がビクッと、その腕をみた。

『よし!行こう行こう!
久し振りに焼酎も呑んじゃうかな!』
愉しげに大きな声をあげた翔が智の肩をポンと叩き、少し躊躇った後、その肩を抱いて歩き出した。