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たぬきベイビーのひとり言

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昨日も今日も語った夢と理想は同じだった。

これからは若者が主役。その若者達に私の夢や理想を語りたい。

勿論語るだけでなく、私自身がその手本になれる実践を体で示したい。

それが「夢を託す」事に繋がるという思いである。

語った夢と理想とは、草の根の文化交流に関してである。

これまでの10年間を省みて、新しくこれからの方向を模索する際に考えた事である。

友好親善を目指すアリラン会の活動の根幹を成す事だと思うからである。

昨日の行動とは、「親方と弟子達の展覧会」を見に行ったときの事である。

親方とは51歳の男師匠、弟子達というのはその習い子達で、まだまだ若い男女達である。

此の連中が「加賀九谷をNYで作品展、販路拡大に奮起」しているというのである。

これからの友好親善を目指す草の根の活動も、此の若者達のように、「主役の若者を年配が見守り後押しする形に見習わねばならないと」思った。そして此の思いを今日の夕方から集まる仲間たちとも話題にしようと意気込んでいる。たまたまその一人と会った。リハーサル代わりに思いを話した。

いよいよ3回目の本番に向けて夕方の会を迎えるつもりである。

草の根で身丈に見合った活動を、趣味や特技でよいから堂々と交換し合い、その繰り返しの中からお互いの友好と親善に結び付けて行きたい。一番の狙いは両国の友好と親善でありる。近くて近い両国の関係を目指したいだけである。お隣の仲間と仲良くなれずしてどうして世界の平和を論じられるの!これが私の自問である。

久しぶりの曇り空、風に秋の気配が少しは感じたが、朝からどんよりとむうっとしている。

今日も暑さが心配である。

でもそんな事は言ってはおられぬ。、月一度・東京から師匠がやってくる大切な一日である。

個人稽古と、集団稽古の二本立て、こんな形での稽古を続けて10年近くなる。もう慣れっこであるが、

緊張の一日である。人一倍汗症の自分である。世界一と自称している。なんでも一番は頼もしい限り。

とはいえ、我が師匠は、君は新陳代謝が旺盛な人だから!とよく言ってくれる。悪い気持ちにはならないで、負けられない気持ちである。

さて、こんな一日なのに、運悪くか!、歯が痛み出した。昨日予約を入れたが、どうしても今日の午前しかだめだという。その時間に合わせてのスタートである。そういえば、隣の町のギャラリーでのグループ展覧会に誘われている。大切な人からの招待である。何とかしてその開展式に間に合うように行きたいものである。忙しくなるぞ!と言い聞かせながら、先ず此のブログに向かっている今である。続きは又の機会に。

二兎を追うもの一兎を得ず・・だとすれば、私は3兎を追ってみたい。

と言ってきた男である。でも私は「鼠の糞」のようだと思うときもある。

それほど何でもに口を出し、気を使い本気になる男でもある。

そしてこの年まで生きてきた。不思議でもありる。

後悔はしていないどころか、最近はこれが俺なんだと開き直りさえする。

今日一日の出来事、過ごし方から少しだけ深く考えてみたい。

朝から可也集中して趣味としている謡曲「鵺=ヌエ」の仕舞の稽古である。

明日は師匠の稽古日。自分での稽古が点検される日であるので、今日は本番のつもりで取り組んだ。

可也疲れたので夕方暫くの時間、大先輩を訪ねた。謡の話になり、あれもこれもやってる君を見てるともったいない気がする。もっと謡いに集中すればよかったのに、仕舞いをしてるとつい謡が疎かになってるように思う。という意味の話になる。謡がイマイチ下手糞だという意味らしい。

ショックは隠しきれなかった。でもいまさらでないので、ここは神妙に聞いて反省してる顔をしていた。その仕舞いも最近はなかなか覚えられなくて、不器用な自分を丸出しにしている。

謡の世界では、素謡のほかに拍子謡という世界がある。これにも顔を出しているのだが、これが又解らず覚えられずドショマな男を演じている次第。そんな事が思い巡らされる一日であった。

下手糞でもいい。上手でなくてもいい。不器用でもいい。これが自分であり、精一杯やってる事がいい。これが自分であり、自分の全てなんだ。いまはそう信じている。そんな男も一人ぐらいいてもいい。そうでないかい。これぞ正真正銘の開き直り。