ダルク・・・と、言えば。
以下。そのお話です。
・・・・・・・・・・。
昨夜はブログを更新する予定でしたが、帰宅が予定より遅くなって
しまって、断念しました。
昨夜は仕事が終わってから、「ダルク」の方が講師の
講演を聞きに行っていました。
ダルクっていうNPO法人の名前を聞いたことがある人は多いと思い
ます。
覚醒剤などの薬物依存症からの回復と、社会復帰を目的と
する日本の民間施設です。
グループセラピー(集団療法)やレクレーションを通じて、症状からの
回復を図っています。
昔は、そこで働く、ほぼ全ての人が【元薬物依存症患者】だったそう
ですが、現在は組織も大きくなって、普通の人も働いているそうです。
昨夜の講師の方も【元薬物依存症患者】だったそうです。・・・元と
書きましたが、最後に薬物を使ってから九年以上過ぎた、その方も
言っていましたが、薬物が「身体に悪くなく、無料で、違法で無い」
なら、今日からでも、又、使用したいとのことでした。
つまり、今も使用したい感情と戦っているそうです。一度依存症に
なったなら、一生、薬物の誘惑と戦っていかなければならないと、
言われていました。
講演の内容は、その講師の方が、どうして使うことになってしまった
のか・・・きっかけから、症状の恐ろしさ、周りの人にどれだけの迷惑
をかけたのか。そして現在の心境まで、全て経験したことの体験談
でした。
聞き終わって、まあ、率直に「薬物って恐ろしい」でしたね。
講演が終わってから、主催者側から、感想を書いて欲しいという
お願いがあって、時間のある人は感想を書いていました。
自分も書きましたよ。三つ思ったことがあったので、①、②、③と、
番号を付けて書きました。
①は、覚醒剤って本当に恐ろしいものだと再認識したことと、講師が
「初めて試した時が、一番気持ち良かった」と話したのが印象的でし
た。と、書きました。興味本位で試してみて、一回で抜けられなくなる
仕組みが分かった気がしました。
(ドーパミンっていう、普段は大事故にでも会わなければ出ない
脳内物質が、大量に出るそうです。初めて使った時が一番大量に
出るそうで、それで一発でやめられなくなるそうです)
②は、オランダでは売春も大麻も合法で、カナダも、つい最近、大麻
が合法になったと聞きましたが、ナゼ、国が薬物を認めるのでしょうか
教えて下さい。と書きました。弱い薬物はタバコと同じなんでしょうか
ね。
(そう言えば、ダルクでは「酒」はダメなのですが、タバコはOKと言う
ことでした。生活するのに深刻な症状が出ないモノはOKだそうです)
③は、暗い話ばかりでしょうから、アンケートを読んだ人が、ちょっと
笑えるようにと思い【清原さんも、これからが大変と思いました】って、
書いておきました。
・・・サービス精神からなんですが、ふざけるな!と、怒られるかな。
このブログでも、出来るだけ笑いの要素を入れるように注意して
いるのですが・・・。
・・・・さて、ダルクというのは、
Drug Abbiction Rehabilitation Center の頭文字をとった
モノだそうですが、ダルクと言えば、他の有名な女性の名前が浮かび
ます。
そうです。【ジャンヌ・ダルク】です。
イギリスとフランスが戦った100年戦争の終盤に現れた、女性の英雄
です。
16歳の時に、「フランス王を助けなさい」と言う、お告げを聞いて、まだ
即位していなかったシャルル王太子の元へ向かったそうです。
【ある言葉】を言ったジャンヌ・ダルクを、シャルル王太子は信用する
ようになり、ジャンヌ・ダルクは、オレルアンという地域で劣勢のフラ
ンス軍の先頭に立ち、軍旗を持って突撃したそうです。
イギリス軍の矢を腕に受けた時は、痛さと恐怖で泣き叫んだそうです
が、治療が終わるや、又しても軍旗を持って先頭に立ったそうです。
軍の先頭で軍旗を振る少女に奮起したフランス軍は、オレルアンの
戦いで勝利し、劣勢だったフランス軍は、この勝利で勢いづいて、
イギリス軍の支配下であった都市を次々と奪い返してフランスを
解放しました。
まさに勝利の女神です。
王太子から王になったシャルル七世は、それまでイギリスの味方
だったブルゴーニュ派貴族を味方に引き入れようとしましたが、
主戦派は、あくまで戦争で決着を付けようと言い張って、その中に
ジャンヌ・ダルクもいたので、シャルル七世は、邪魔に思うように
なって行ったそうです。
意見がそろわないままに、無理にブルゴーニュ貴族に戦争を仕掛け
た主戦派は負けてしまい、ジャンヌ・ダルクは捕虜にされたそうです。
ジャンヌ・ダルクはイギリス軍に引き渡されて、男装をしていること
から(戦争するのにスカートは、はけないでしょ)異端・悪魔崇拝と
決めつけられて宗教裁判にかけられ、ルーアンという町で
【火あぶりの刑】で処刑されてしまいます。
この時、19歳だったそうですから、かわいそうですね。
火刑になって20年後にルーアンの町はフランス軍に解放されて、
シャルル七世はジャンヌ・ダルクの裁判をやり直して、無実と復権が
宣告されましたが、それはシャルル七世の「罪滅ぼし」だったのかも
知れませんね。
・・・本日は、ダルクつながりの話でした。
おわり。
追記:
余談なのですが、フランスでピースサインは、やらない方が良いそう
です。
相手を怒らせる時に使うサインだそうです。
前記のイギリス軍との100年戦争で、イギリス軍の捕虜になった
フランス兵は、二度と弓を使えないように、人差し指と中指を切断
されたそうです。
そしてイギリス軍がフランス軍を挑発する時に二本指を立てて
(つまりピースをして)「俺達には指があるぞ!」とやったそうです。
ギリシャでのピースは侮辱のサインだそうです。(罪人に石をぶつけ
る時に、二本指で石をつかんでぶつけたことから)
インドでは、ピースサインを裏返して使うと「ウ○コがしたい」サイン
だそうです。
インド語が分からないとしても、彼女と二人でレストランに行って、
二人前を、二本指を立てて注文しても、ヘタをしたらトイレに連れて
行かれますよ。
注意しましょうね。