たわごと56(拝観停止) | 単車の虎ブログ  さらばモバゲー単車の虎 度々たわごと

単車の虎ブログ  さらばモバゲー単車の虎 度々たわごと

単車の虎ブログ第二章。配信停止のその日まで。新たな気持ちで再開したつもりが、今はただの課金ゲームになり下がり、惰性で続けることに・・・ブログはもはや「たわごと」のみとなっております。

本日も書くことが無いので、ブログの更新が出来ないと思っていまし


たが、ふと!浮かぶことがあったので書くことにします。




・・・・・・・・・。




たわごとです。




ちょっと前に、京都市内でタクシーに乗ったのですが、運転手さんが


すごく積極的に、話して来る人でした。


向かった場所は「東福寺」だったのですが、三十三間堂のそばを通り


かかった時に、急に運転手さんが【古都税】のことを話しはじめました。




自分は「そう言えば、古都税って、あったなあ」くらいの認識しか


無い話題だったのですが・・・。




【古都税】は、古都保存協力税といって、目的は寺社などの古都遺産


を守る為の税金で、1985年に施行された税制です。




多くの寺社がこれに『反対』して、施行と同時に【拝観停止】


行いました。




寺社の保存修復が目的税金なの


ですが、 『なぜ』寺社が反対したのでしょうか・・・?




寺社に言わせると、拝観者に余分な税金を払わせないように・・・・。


とのことです。




運転手さんに言わせると、すでに拝観料の中に、保存修復費用が


入っている(今も、その費用で修復している)のだから、拝観料を


税金の分、上げる必要はない・・・。


現行の拝観料の中から「古都税」を払い、値上げの必要はなかった


と言うことでした。




なぜ寺社が反対したかと言うと、保存修復が京都市によって行われ


ると、工事は当然、入札形式となることから、修復業者と寺社が癒着


して儲けている図式が壊れるから・・・とのことでした。




・・・本当に、そうかは分かりませんが、京都人で寺社に参拝する人は


それほどいないので、京都市民はどっちでも良かったのが


本音ではないでしょうか。




(先祖が何度も戦乱に会っている京都人は、他人どころか、神仏


信じていない。・・・と、ある人が言っていますが、ちょっと言い過ぎ感は、


あります。)




それでも、寺社の発表では、門前に店を構える多くの『有志』の人々が


自分たちの商いも苦境にある中で、お布施を集め、古都税廃止の


交渉に対峙し、寺社と一緒に苦難に立ち向かってくれた・・・と、言って


います。




本音を言えば、拝観停止をされたら、観光客が減って「メシ」が食えなく


なるから、しかたなく手伝ったのかも知れません。(それが正解でしょ)




結局、古都税は1988年に廃止になりました。




・・・・・・・・・。




古都税は一人当たりに換算すると、大人50円。小人30円くらいだった


そうです。




先頭に立って反対した清水寺ですが、毎年、【今年の漢字】


太い筆で書いて有名ですが、貫主さんは個人の方にも文字を書いて


「謝礼」を受け取っていて、かなりの高額にも関わらず、申告して


いなかったことから、脱税を指摘されていましたね。




金閣寺も銀閣寺も脱税で逮捕者が出たこともあります。元々、税金を


納めると言う観念が坊主に欠如しているのかもしれません。




税金納付することは国民の義務なんですがね。




その昔、織田信長が若かりし頃、ある坊さんを斬り殺してしまった


のですが、理由を尋ねられると、


『あの坊主は太っていた。悟りを開かんと修行しているはずの坊主が


仏の名を借りて人をまどわし、私腹をこやしていたからだ』


と、言ったとか言わぬとか。




モチロン、全てがそうとは言いませんが、税金を払わず。払う観念さえ


持たず、私腹を肥やしている坊主を信長が見たならば、なんと言う


でしょうか。




そう言えば有名な叡山の焼き討ちも、仏の教えを忘れ堕落した


坊主たちを、攻め滅ぼした一面もあるようです。


(何千人もの坊さんが殺されたような話もありますが、最近の発掘


調査によると、実際は焼き討ちされた寺社はほとんど無いそうです)




信長は宣教師と坊さんとを、問答勝負させたり、面白い逸話が沢山


ありますが、もう一つ坊さんとの面白い話を思い出しました。




信長が晩年のことですが、今の滋賀県にある、臨済宗石馬寺に、


「無辺」という旅僧が逗留して、【不思議】な術を使って、諸人の畏敬


を集めていると評判が立ったそうです。




信長は五十歳近い年齢でしたが、若かりし頃に坊主を切り殺した時と


同じ気持ちを持ち続けていたようで、スグに「無辺」を城に呼びました。




「不思議の現象など、起こりえるはずはない」そう言って、無辺に問い


ます。


「生国はどこか」




信長の問いに、無辺は「無辺」とだけ答えたそうです。 「ならば」


唐人か天竺人かと、信長は重ねてただしたのですが、無辺はまともに


返答しなかったそうです。




信長は眉ひとつ動かざず、近習に「ならば、火あぶりにせよ」と命じ


ました。


不思議な術があるなら、その威力を発揮して見ろといったところで


しょうか。


無辺は、真っ青になって「山形県の出身です」と言ったそうです。




信長は手をゆるめずに、何でも良いから不思議の術を使えと迫った


そうですが、ついに無辺は何もできなかったそうです。




宣教師が本国に信長のことを報告しているのですがそれによると。


【素晴らしい理解力と明晰な判断力を持ち、神仏その他の偶像を


軽視し、異教一切の占いを全く意に介さない・・・宇宙には造主も


無く、霊法も不滅も無い、死後の世界は何物も存在しないことを


確信をもって説いている】と・・・。




タクシーの運転手さんは。どういうつもりで言ったのかは分かり


ませんが、信長が現代に生きていたならば、税金も払わずに太り


私腹を肥やしている坊さんは、全員集めて鴨川の岸辺で首を


打ったかも知れませんね。




(庶民をだまし、その私腹の【元手】になっている、仏像まで首を


はねたかも知れません)




寺社の人手が無くなって、本当にどこもここも拝観停止


なるかも知れませんが。




・・・今夜は乱暴な話になってしまいました。


あくまでも遊びです。たわごとです。




本日は、これまで!