昔、商店街で働いていた時に一緒に働いていた方は、その前に市の福祉課で虐待児童の救出をしていた市役所の方だった。
私は聞いた。
「虐待を起こす家庭にパターンはありますか?」
彼は
「確実にある。」
と、答えた。
僕は3年しか現場にいなかったけどと前置きした上で
「低所得・低学歴家庭に発生件数が多くて、高所得・高学歴家庭が次に多い。普通の所得・学歴で奥さんがパートか何かに出ている様なごく普通の家の虐待はあまり見た事がない。」
と、教えてくれた。
失礼ながら、低所得・低学歴家庭は理解できる。高所得・高学歴家庭は理解できなかった。
その時はそれ以上話さなかったけれど、今ならわかる。
認知の歪み。
成功したからこその絶対的自信
偏った考え方を指摘されない社会的地位
子どもを追い詰める時も全力だ。
私はそのことがわかっていたので、子どもを授かった時、ある決意をした。
「愛してあげよう。」
何があっても親バカでいよう。
読み聞かせも
外遊びも
トイレトレも
食育も
ひらがなも
スイミングも
もちろんしたけど、それはどうでも良かった。
本当にどうでも良かった。
心の底からわかっていた。
1番大切なことは、自分が親から愛されていて、親はどんな自分であっても誇りに思っていることを、自覚させること。
いつもそれを心がけて子育てしてきた。
朝、子ども達を送り出す前は
「いってらっしゃい。大好きだよ。」
と抱きしめてから行かせた。どんな日も欠かしたことはない。
仕事を終えて、子ども達を迎えにいく。車内で子ども達に
「仕事大変だったけど、あなた達の顔を見たら元気になる。帰ったらギューっとしようね。お母さんが元気になるから。」
と、語りかけた。
息子がいじめられた時、誰よりも怒り狂い、
「うちの息子に何してくれた!」
と、近所に住む相手の子の家に言いに行った。ついでにボロボロにされたパーカーを相手の親の鼻先につきつけ、相手の子を詰問した。彼にはトラウマが残ったかもしれないが、私は聖母マリアではない。子どもを溺愛するただの元ひきこもりだ。
それは私の評判を落としたし、相手の親は私が運動会に現れると群れをなし囁き合っていたが平気だった。誰からも好かれたいなんて時代は終わった。ひとりぼっちでひきこもっていた8年を思えば大したことはない。
息子に自分は親から全力で守ってもらえる存在だと認識させればそれで終わり。極端な話し、パフォーマンスだ。
でも、私のそういう態度を好きだと言ってくれるママもいて、ママ友は欠くことがなかった。
その教育方針は、予想していなかった所で花が咲き、息子たちは立て続けに県で一二を争う進学校に合格した。
そして娘が不登校になった時、私は娘を徹底的に擁護した。子どもたちに対する
「何があっても、お母さんは見捨てない。」
という、私の立場表明でもあった。
娘は繊細で大人びていて優しい子。
これからも、生きていく上でひきこもることが必ず出てくるだろうと私は予想している。
でも、それは二の次。
外の世界で何があろうとも、私は子ども達にハグをして愛されていることを毎日自覚させる。