みなさん、大変ご無沙汰してます・・・
実は旦那さんのお母さんが、6月7日に亡くなりました。
5月の最終日に弟から緊急の電話があり、
お母さんが入院している事を知りました。
今年の2月から入院していたそうです。
遠い所で働く息子には心配かけたくないと、
お母さんが口止めしていたそう・・・
とにかく、旦那さんとすぐに秋田に向かいました。
7時間ほどかけて、病院に着きすぐに病室に入ると、
お母さんは起きていて、10月に会った時とは違い、
本当にすごく痩せていました。
旦那さんと私が入ってすぐにお母さんは、
「知らせなくてごめん。言いたくなかったとかじゃなくて、
心配かけたくなかったから。でも、結局心配かけてしまった・・・
本当に申し訳ない・・・」
と言いました。
私達に悪い事したという思いがとても伝わってきて、
そんな事病気の人が心配する事じゃないのにと胸が苦しかった。
担当の先生に話を聞いた所、
2月に体がだるく、おなかが痛いという事で、
病院に受診した様なんですが、
検査をしてみると、子宮・肺・肝臓からガン細胞が発見され、
既に末期の状態で手術が不可能だったそう。
抗がん剤投与しているが、効果が見られないという事でした。
お母さんは全部知っており、2月の時点で余命を聞かされていて、
最近、「前に先生に余命を聞かされたけど、私まだ生きてる。」
と先生に言っていたそうです。
自分達だけが知らなかったという事が、悔しいとか悲しいとかじゃなくて、
お母さんが頑張っている間、自分達はのほほんと過ごしていた事が、
悔しくて、悲しかった。
6月4日まで秋田にいて、
旦那さんの仕事もあったので、とりあえず帰ったんですが、
6月6日の昼にやっぱり、状態が良くないと連絡があり、
すぐに、秋田に向いました。
翌朝8時半に病室に着いた時には、
呼吸も心肺も停止していて、
私は間に合わなかったって、思いました。。。
でも、旦那さんがお母さんの手を握って声をかけた時、
涙が流れたんです。
「よかった、間に合った。。。」って旦那さんは言いました。
旦那さんがくるのを肉体ではなく魂の方が待ていてくれたんです。
お母さんが亡くなった後、先生が
「辛い治療に、弱音一つ吐かない辛抱強い方でした。」
と話されました。
本当にその通りで、お見舞いに行った時、
お母さんが寝ている時、呼吸がとても苦しそうで、
声をあげたりしていたのに、
旦那さんに「苦しいか?」と何度も聞かれても、
絶対に「苦しい」とは言いませんでした。
逆に、「○○(←旦那さん)は昔から気が良くつくから、
あんまり心配されると辛い・・・」と言ってました。
子供に甘える事をせず、親のまま亡くなった・・・
そんな感じです。
本当に気丈なお母さんで、旦那さんや弟さんにとって、
最高のお母さんだったと思います。。。
私はお母さんのようになれそうにないけど、
お母さんが大事に育ててくれた旦那さんと、
一生仲良く暮らして行こうと思います。
私が流産した時、書いてくれた手紙はずっと大事にします。
あの手紙にどれだけ救われたか知れません。
私にとっても、いいお姑さんでした。
本当にありがとうございました。
どうか、安らかにお眠りください。
来週、また秋田にいきます。