外来での患者さんとの出会いは、それほど時間は長くありません。

けれど、強烈な印象に残る方が居る。

 

むかし勤めていた外来でのこと。

外来がすいてきた頃、70代後半のおばあちゃんがやってきた。

 

見たことのない顔です。それがAさん。

 

どうされたのかと聞きに行くと、一緒にきた弟さんが

「ふだん島で一人で住んでいて、病院を受診をしたことがないので

自分のところに連れてきたついでに、一度、診てもらいたいんです。」

 

その横で、ニコニコと笑う、その女性は

なかなか見たことがないくらい、人懐っこい笑顔。

 

「こんにちは」と私が話しかけると、覗きこむように私の顔を見る。

 

「耳が悪くて,生まれつき聞こえないんです」と弟さん。

あ~、そうなんだ。

弟さんに今までの病気や、今の事を簡単に聞いて、診察室に通した。

 

先生とのコミニケーションがうまく行くようにと、

私は筆談できるように、大きめの紙を持って診察室へ…

その紙に先生の質問を書きかけて、ふとAさんに目をやると私の手元を不思議そうに見ている。

 

それは、文字を読んでいるのではなく、眺めている…。

私は、この方は、「文盲」かもしれない!とその瞬間に思った。

文字を読もうという気配が感じられない。

 

「文字は読めないんですか?」私は手を止めて、弟さんに聞くと、

ついてきた弟さんが「はい」とうなづいた。

 

とても不思議な気がした。耳が聞こえず、文字が読めない。

この人は「鳥」が「鳥」という名前であることも

まちの名前も知らないのだ。

自分の名前も書けない。

 

「どうやって、コミニケーションを取るんでしょう? 身振り手振りですか?」

 

「両親が生きていた時には、色々な合図があったようですが、 死んでしまってからは、何とも…1人暮らしですから。

私も島を出てしまって、あまり分からないんです。これ、とか、あれ…とか指さしで、あとは簡単な動作です。」

 

へええええ~!

目がしっかり見えるから、文字が読めたら、新聞も本も読めるし、意志疎通だって、すごくうまく行くのに。

 

そこから私の悪戦苦闘が始まった。

 

頭は痛くないか、お腹は痛くないか・・・咳はでないか、ご飯は食べられるか。

ジェスチャーで物事を伝える、ゲームさながら、身振り手振りで、必死だ…。

 

そんな私の動作を見て、大きくうなづいたり、首を傾げたり。

 

ひょっとこ踊りのように、指先が何かを伝えるように大きく動き、幼子のように目が笑ったり、真剣になったり。

 

あ~あ~、う~う~としか出ない声が、私に何かを言おうとする。

 

そして、その度に、満面の笑顔で笑うのです。

 

言葉にしたら、「頭は痛くない」と伝えるのは、2~3秒で終わるのに、

その何倍もの時間をかけてのやり取りだけれど、Aさんのユーモアと、表現力と笑顔に、私はすっかりとりこになってしまった。

 

考えてみたら、ずっと小さな島にすみ、その両親も文字は読めなかったかもしれない。

 

耳の聞こえない子に、与えられる教育の場は少なかったのかもしれない。

 

幼い頃から島で過ごし、両親の畑を手伝いながら暮らしてきた。

その両親もずいぶん前に他界した。

それからずっと、過疎化の進んだ島で、

一人暮らしをしながら、自分の食べる野菜を作り、

たまに身振りで手振りで、

島の人と関わりながら生活するその方が…

 

どうしてだろう、こんなに魅力的なのは。

 

 

採血をした。

まずはジェスチャーで説明して、駆血帯で縛り、親指を中にしてグ~に握ってもらう。

 

すると、小指をぴょこんと伸ばす。

もう一回、握ってもらう、小指をピョン…

 

初め、お茶目なのでふざけているのかな~って思った。

 

良く見ると、小指が曲がらないのだ。だからピョコン。

 

やっと私がうなづいて、そのまま採血をして、終わってから、けがをしたことがあるのね?と

小指を切る身振りをして痛そうな顔をしてみた。

 

すると、ぱぁ~と笑顔が広がり、その時の様子を話し始めた。

もちろん身振り手振りで…。

 

何かがあって、ザクッと切って、すごく痛くて、血がぴゅーと出て、そのあと、ずいぶん長い間、不自由で、痛かったらしいアセアセ

 

たぶん(笑)

 

その様子はチャップリンのように、表情やしぐさが変わり、全然分かんないんだけど、すっごくわかったような。変な感じ。

 

小指を切ったこと、伝えることが、嬉しくて仕方がないみたいだった。

 

 

耳は中で何か聞こえるのか、気になった。

全く音はないのかしら?

 

私のしぐさは伝わったようで、耳を指し、「ザーザー」と言った。

 

もちろん本人は自分の出した声が聞こえないから、ザーザーがあっているのか分からないけれど、何か音はなっているらしい。そうなんだね・・・。

 

私からしたら、言葉が通じなくて会話が成り立たないことが申し訳なく、

Aさんが、困っていないか気になったけれど

Aさんはずっと、嬉しそうに、身振り手振りと、笑顔。

 

彼女は、たとえ、言葉が通じなくても、人と関わることが大好きなんだな。

 

弟さんの方が、言葉が通じなくて、困っているみたいだった。

色んな手続きや、今後のことのために、島から連れてきたそうだから…。

短い滞在の間に、病院で診察もしてもらっておこうという、弟さんの優しさ。

 

最後に何度も私に手を振って、弟さんのあとを、子供のように嬉しそうに歩いて帰って行った。

ふだんは、病院もお店も行かないらしいから、島にはない色んな事が珍しいのかも。

 

 

仕事の帰り道、空を見ながら、文字のない、言葉を知らない、音がない世界を想像した。

 

私たちよりずっと、身の回りの世界を観察する力は鋭くて

空とも海とも、畑の野菜とも、鳥とも、あらゆるものと会話しているのかもしれない。

 

鳥が鳥という名前だとは知らなくても、私たちよりずっと、鳥を知っているかもしれない。

 

心の豊かさは、文字や言葉とは関係なくて、

私たちの方がネットやテレビや新聞の情報に振り回されているのかも。

そんな事を考えさせられた、出会い…。

 

もちろん島の生活だから、そんな風に言えることであって、普通の町で耳が聞こえず、生活するには、色々な不便さがあって工夫も必要。

 

そして、文字が読めることは私たちの生活を豊かにしていることも事実だ。

 

でも、私の中で、その頃、正義のようにちょっと思っていた事、

 

「文字を読めることが、可能性や社会的地位を高める。文字の読めない貧しい子供たちにも、教育の場はあるべきだ…」

 

それは正論で、発展途上国で一生懸命、学ぶ子供たちを応援したい。

 

でも、心の中のどこかに、私自身のおごりがあったのではないだろうか。

そう思って、心がチクンと痛んだ。

 

お金でもなく、恵まれた環境でもなく、高い教育でなく

心豊かに生きるのは、自分の心次第なんだよね、きっと…。

 

私の仕事は、知識や看護を、言葉で教え、言葉で書かす。

 

だけど感じる心や、言葉でない表現の大切さも、

きちんと学生たちに伝えたい…。

 

音も言葉のない世界を、改めて想像してみる…。

どんな世界なんだろう。