7/27(土)

 

仕事後、k-プラスで借りていたVHSで野沢尚脚本、成美さん主演「リミット もしも、わが子が…」観始める。野沢さんはなんと過酷なフィクションにTVで挑んでいたのだろう。そして成美さんはどれほどの勇気を持って、自分の抱える最悪の恐怖に立ち向かい続けたのだろう。「この愛に生きて」における作者と女優のミニマムで強烈な関係性とはまた違う、より大きな物語の中で再びこの二人は異様な表現の達成をしていると思う。

執拗なまでに「子どもを喪失する母親」を演じつづけ、その痛みと戦慄を身体と精神に蓄積してきたかもしれない成美さんは、実際に二児の母になっていた2000年の本作において、知力と体力を駆使し、子どもを自力で奪還するために全国の警察組織すら裏切って孤独な戦いを続ける女刑事を演じる。溢れ出るような激情を秘めながら、冷静沈着に自らがするべき行動を実行していくその姿を見ながら、何度も涙が込み上げてきた。安田成美さんを単なる華のあるTVタレントの一人としか認識していなかった人はひょっとしたら「なんかイメチェンしようとしたのかな」くらいにしか思えなかったのかもしれないが、本作は安田成美という女優が絶対に演じなければならなかった役であり、彼女が仕事よりも優先させることになる母性や家庭に真っ向から挑戦するようなフィクションを投げつけた野沢さんは、逆説的に成美さんの最大の理解者だった。その創作行為は成美さんに捧げられた純粋な「愛」だったのだ…というのは感傷的にすぎるのかもしれないが、冒頭で殉職する成美さんの亭主の役に野沢さんそっくりの俳優がキャスティングされているのは、野沢さんと長年の名コンビだった演出 鶴橋康夫の理解ある遊び心だったという気がする(特に集中治療室に入って顔面に巻かれた包帯から覗く横顔を見たときは、てっきり野沢さんがカメオ出演しているのかと思ってしまったくらいだ)。

また、成美さんの母性を「パブロフの犬みたい」と徹底的にあざ笑い、子どもを臓器売買のためにさらい続ける田中美佐子が体現する「悪」のしなやかな美しさにも戦慄した。本作の彼女はいかにもな「悪人」の芝居など微塵もせず、田中美佐子らしいクールな色気のある芝居を淡々としながら、しかしどこまでも悪辣で史上最低最悪なまでに「悪」を体現しているのだ(これに匹敵する悪役なんて、ケッチャム「隣の家の少女」のババアくらいしか今の僕には思いつけない)。野沢さんの前作「氷の世界」の中島朋子の体現していた小賢しい「悪」とは表現の次元が全然違う(かえすがえすも、あの中嶋朋子の「やらされてる感」の醜さはかわいそうすぎたと思うが)。