4/10(水)


何故か東京に来ており、何故か早稲田松竹で青山真治『サッド・ヴァケイション』と『レイクサイドマーダーケース』の二本立てが観れているから自分でもびっくりする。長年「青山作品特有のなんとなくつまらない映画」に分類していた前者も、高校生の時にテレビで観て衝撃を受けた後者も紛れもない傑作であることが今更ながら発覚。「レイクサイド」のラストのCGの、『模倣犯』のクライマックスに匹敵する「いくらなんでもあんまりにも、ヒドイ」感触の謎は、せめて生前に本人から聞いておくべきだったと思う。原作に由来するものだとは思うが、この作品に強烈に映し出される「子どもを理解出来ず、恐れるばかりの脆弱な大人たち」の姿は、例えば後の中島哲也作品だったり、ポン・ジュノ『母なら証明』やイ・チャンドン『ポエトリー』などを想起せざるを得ず。初見時(これが人生で初めて出会った青山真治作品だった)、その生々しい悲痛さに本当に驚いたし、この作品をもって青山真治は、あるいは日本映画は本格的に21世紀を迎えたのかもしれない…とか思わなくもない。買い逃していた「青山真治クロニクルズ」を8000円近く出して買う。スタッフのみんなに挨拶。一回辞めたのにも関わらず、のこのこ再雇用を求めてあっさり断られた不甲斐ない、見苦しく、ダメになった僕にもやさしいいい人たち。副支配人に近況を報告してる時、不意に涙が込み上げて来て困った。


終わって、古書現世に行く。太田省一「水谷豊論」を買う。ユニオン行く。森田童子「グッドバイ」と「パパ/ずれてるゥ! 」OSTをLPで、山本精一「殺し屋1」OSTをCDで買う。


池袋で長距離バスの来る時間まで、ユニオン。「いつか誰かが殺される」のサントラLPが100円だったので保護する。


4/12(金)


労働。休み時間に「水谷豊論」読む。

帰宅して「101回目のプロポーズ」最終回を見る。

このドラマの浅野温子が辿り着く、「愛されること」を巡る気づきは、後の綿谷りさ「勝手にふるえてろ」のヒロインが最終的に辿り着く境地に近く、今観ても古びていない。というか、例えば現代のアメリカのラブコメなどでヒロインがこのような結論に至る作品があれば、十分に斬新で胸を打つ作品だと評されるように思う。