「聖天川」以前の呼称 | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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10月25日(木)に
『鷺洲町史』挟み込みの古地図「寛政年間浦江村地図」、
「鷺洲衛生組合管内地図」1929年などに基づき、
福島区鷺洲の橋跡の準備調査をしました。
その後、参加者の一人から質問が届きました。

◆川にかかっている橋の名前があるのに、
 川の名前はないのですか?

咄嗟に、『鷺洲町史』以降、川の名前が表記されて
「聖天川」と云いますと答えましたが、
自分でも腑に落ちないところがあって、
調べ直しました。

慥かに、「寛政年間浦江村地図」の凡例に
「此色 井路」とある青で描かれた曲線で、
川のように見えます。
ところが、ボクの説明は、くどくて、
本ブログでは、
「安政三甲午年四月十一日
南中島悪水落水道幷ニ続井路間数相改帳」を引いて
「野田村領立会悪水落大樋ヨリ曾根﨑村領梅田石橋迄」なんぞと
長ったらしく表現しています。

冊子「福島区の名所 - わがまち福島区」(福島区未来わがまち会議発行
平成20年5月(改訂版))の「鷺洲小学校区」の記述に
「聖天川」が出てきます。

 

◆浦江村の本村の南に当たり、
 浦江聖天と、聖天川の流れが水田地帯を走る、
 のどかな田園地帯であったことがわかります。

あるいは「大開小学校区」の記述にも
「聖天川」があります。

 

◆ほぼ全域が野田村の田地でした。
 聖天川が南の境界となり、
 人家の全くない、小河川が曲流する
 田園地帯であったことがわかります。

「田園地帯」を流れるのは、

この冊子によれば「聖天川」という川のようです。

この「聖天川」という名辞の管見での初出は、
やはり『鷺洲町史』です。

 

◆同所属*(南浦江所属)聖天川架設の鷺洲橋大破に付、
 古材を以て之が架換に着手し、共に之を完成せしめたり。

この事例は「南浦江所属」であって、
他には「大仁所属末廣橋上下流の井路」に関連して
「聖天川」の記述があります。
「福島区の名所 - わがまち福島区」のように
「大開小学校校区」に見えないのは当然です。
それは「鷺洲町」の領域外だからです。

この点では結論は保留でして、

下流においてその水路を
「聖天川」と称していたか否かはわかりません。
確かなところで
この水路の名称を記しているのは、
羽間市蔵氏所蔵「安永年間海老江村」
(『さぎす創立80周年記念誌』1978年)です。
「野田村領」を南西に一直線で突き抜けている
水路があります。
その水路には「南中嶌水道筋」と表記しています。

どうやら冒頭の表記に戻りそうです。
冊子の「聖天川」と称する水路も
「南中島悪水落水道」の一派であることに
違いはありません。
過去に存した水路に固有の名称を
今日、存する施設の名称に準えて付けるのは、
慎重さを要すると思います。

ちなみに、冊子の「明治時代の小字地名入り地図二葉」には
小字名「南里中」が抜けていたりもします。
これでは南浦江には農民が居住する
里中が無かったことになります。

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登

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