伊藤廣之『河川漁撈の環境民俗学』を読む(3) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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伊藤廣之『河川漁撈の環境民俗学―淀川のフィールドから―』
(2018年和泉書院)は
2016年9月に佛教大学に提出された
博士学位請求論文
 『淀川における河川漁撈の環境民俗学的研究』に
加筆・修正を加えられたものです。

 

 

写真図 表紙
     著者提供

今回は《第二部 淀川における河川漁撈の研究》から
ライフヒストリーの記述から読み取られる
民俗知識に焦点を当てて紹介します。

 

《第四章 淀川淡水域における川漁師の河川漁撈》は、
1923(大正12)年に
現在の守口市八雲北町に生まれたMさんは、
淀川上流の淡水域を漁場とする川漁師です。
Mさんは、増水時には堤防とヨシ原のあいだに簀を設置して
上ってくる魚をとることを「上りをかける」と呼び、
他の川漁師を近寄らせないようにしていました。
その場所は「ウチのゲブツ(米櫃)」として
彼の家では大事にしていました。
また、Mさんが父親から聞かされた
「ジャコのことはジャコに訊け」からは
「魚との対話」という関係性が重要であることを
著者は指摘しています。
Mさんのことばからは、
他の人間と魚との間に生きる

川漁師の世界がかいま見えます。

 

《第五章 淀川淡水域と汽水域における川漁師の河川漁撈》では、
1916(大正5)年に現在の大阪市東淀川区菅原の
川漁師の家に生まれたAさんを取り上げています。
Aさんは淀川の水質汚濁のため、
1960(昭和35)年ころ漁場を可動堰下流に漁場を移し、
ウナギ漁に特化した漁撈活動をおこなってきました。
そのAさんにとっては、
カミとシモは漁撈域の区分であるとともに、
川漁師としてのライフヒストリーを区分するものでもありました。
ところが、1990(平成2)年頃には、
移転してきた、漁場もウナギの漁獲量が減少していました。
その要因としてAさんは、
ヨシ原だったところが河川敷になったりしての
河川環境の変化が関連していると考えています。
川漁師が如何に河川環境に翻弄されながらも
生き続けているしたたかさをボクは感じました。

 

《第六章 淀川河口域における河川漁撈と川漁師》では、
大阪市西淀川区福町を拠点する
川漁師Tさん(1922年生まれ)を取り上げています。
新淀川の細流で、本流とつながる水路を
地元では「イリ」と称し、
漁船の繋留地として利用される以外にも、
漁場としても重要な役割を果たしていました。
著者は淀川河口域と魚との関係を次のように述べています。
◆・・・・河口域は稚魚が生まれ、
 一定の大きさに育つまで留まるところであり、
 10センチ前後の小さなカレイも見かけるという。
 しかし、ある程度の大きさに育った稚魚は、
 瀬戸内海へと移動していく。
 Tさんはそうした状況をさして、「淀川はちょうど
 (魚の)保育所や幼稚園のようなところだ」という。・・・・
ほのぼのとした人間味あふれる言葉やとボクは感じます。

 

最後に《第三部 淀川における漁撈技術と川漁師の世界観》から
ボクの心に響いた「関係性」についての言及だけを挙げます。
自然と人間の関係性についてですが、
並立した対等な関係のなかでとらえようとする
自然観が潜んでいるとのこと。
また「人間と人間の関係性」については、
オモテでは互いに占有慣行を尊重しながら、
ウラでは他の川漁師の秘密の漁場を盗むという
相反する二つの関係性が、
表裏一体となった状態で存在しているとのこと。

本書は
著者が1990年頃、緻密に行っていた
フィールドワークを糧に、
環境民俗学の観点からまとめあげられた
尽力の賜物であります。
「人の生」を正面から見据えた
民俗研究としての成果をボクは讃えます。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登

 

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