浪花ふくしま奇観(4) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


テーマ:

昨日2018年9月8日、
JR東西線「北新地駅」と大阪メトロの「西梅田駅」の
分岐点に当たる場所で、
「なにわの歴史をひとめぐり」なる電飾を発見。
「浪華曾根﨑図屏風のうち舟遊図(以下「曾根﨑図」)」です。

写真図1 電飾「曾根﨑図」第四扇

「曾根﨑図」は第一扇から第四扇まで
柱の4面に飾られています。


どこかで見たことのある屏風絵ですが、「曾根﨑」?
これと同じ屏風絵に、
*「梅田橋図屏風(六曲二双)片畑敬三氏蔵」があります。

*「梅田橋図屏風・・・・」:『近松門左衛門集一』日本古典文学全集43、
             1974年、第2版、小学館、口絵写真
                          (以下「梅田橋図」)
同じ屏風絵でありながら、
編集が異なります。
電飾「曾根﨑図」には、「梅田橋図」の
第一曲から第二曲がありません。
カットされているのです。
そのカットされた第二曲には、川を挟んで対岸の遊里に
橋が架かり「梅田橋」と書かれた親柱が描かれています。

 

「梅田橋図」の神山登署名の解説には、
「梅田橋から下流の遊蕩の場所」とあります。
櫓を操る舟人の漕ぐ舟は下りで、
岸に突き出した床は、
堂島という島に設けられた施設になります。

 

神山登署名の解説の冒頭は、次の記述です。
◆堂島川にかかる大江橋の少し上流から分かれる
    曾根﨑川が新しく開削されたのは貞享の頃のことで、
 新川、蜆川などと称された。
 この川ぞいに繁盛した遊里や舟宿が
 庶民の遊興の場所として著名になったのは
 元禄の末から享保頃のことである。
 蜆橋、桜橋、梅田橋、志ほつ橋という橋がかかり、
 路も通じ、堂島の川口辺には
 新茶屋町、舟大工町といった町名も生まれた。

 

文中に「志ほつ橋」とあります。
これは「汐津橋」のことです。
「志ほつ橋」表記は、古地図に見覚えがあります。

大阪府立図書館蔵書の「元禄期改版絵地図」です。
写真図2 大阪府立図書館蔵書「元禄期改版絵地図」部分

地図右上(北東)に「そねさき」。
「天神」の鳥居が見えます。
曾根﨑は未だ、新地が開かれずに村です。
村の南(下)を東西(右から左)に
「そねさき川」が表記されています。
曾根﨑川には上から下(右から左)に
「さくらはし」「梅田はし」「志ほつはし」とあり、
「梅田はし」の堂島側に「新茶屋町」、
「志ほつはし」の堂島側、島の西端には
「舟大工町」が表記されています。

 

神山登署名の「梅田橋図屏風」解説は、
「元禄期改版絵地図」を読図した可能性があります。
もし、神山登解説が正しければ、屏風絵の場所は
現在の福島区福島一丁目になります。

*『曾根崎心中』「天満屋の場」の一節です。
 *『曾根崎心中』:小林直樹代表、2006年『曾根崎心中』和泉書院

〽恋風の、身にしゞみ川、流れては、 
 そのうつせ貝、現なき、色の闇路を照らせとて、 
 夜毎にともす灯火は、
 四季の蛍よ、雨夜の星か、 
 夏も花見る梅田橋

夜更けまで灯のともる遊所を
謳ったくだりです。

ようやく、今回の「浪花ふくしま奇観」のワンショット!
写真図3 福島区福島一丁目

     道路は曾根﨑川跡。
     手前は大阪地方検察庁前緑陰:福島区一丁目1-60
     奥(西)へ堂島クロスウォーク:福島区一丁目1-51
     背後の高層ビルは朝日放送:福島区一丁目1-30

 

西梅田駅付近の電飾「曾根﨑図」は、
往時の堂島新地「新茶屋町」だったのです。
新地の中心が
堂島から曾根﨑に移動する以前の図と解釈します。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登

 

田夫野人(田野 登)さんをフォロー

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス