摂陽落穂集「野里村一時上臈の事」(5) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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8月も最後のブログです。
久々に生け贄談義の続きをしましょう。


近世大阪の狂言作家でもあった浜松歌国による
随筆集*『摂陽落穂集』は、
 文化5(1808)年に刊行されました。
  *『摂陽落穂集』:『新燕石十種』第八巻、
  1982年、中央公論社
これの巻二に
「野里村一時上臈の事」(以下「テキスト」)が
載せられています。

 

前回、テキストにおける
神饌を入れた桶を運ぶのが下男で
「其跡より少女六人、
  わけ髪、白絹のかづきにて行」を
取り上げました。
これでは、まるで
少女が神饌に供せられる存在のようです。
ほぼ同時代の*『年中行事大成』での少女は、
そうではありませんでした。
*『年中行事大成』:
  速見春暁斎、文化3(1806)年刻成『諸国図会年中行事大成』
 (『日本庶民生活史料集成』第22巻、祭礼、
    三一書房、1979年発行)

 

◇六具是を檜の曲物に入る。是を路司といふ。
 一社に二具宛なり。是を持者を上臈といふ。
 皆少女にして下髪に打かけを着す。(挿入歌略)
 故に一夜官女と称す。
 今晩十二家の番頭帯刀して前駆し、
 次に上臈供物を頭に戴歩行す。

 

上臈を演じる少女は、
「供物を頭に戴歩行す」とあります。
頭上運搬をして
神前に神饌を献上しているのです。
歌国記述の少女は神饌の代物を思わせましたが、
これとは異なり
『年中行事大成』では、神に対して奉仕する
存在と読み取られます。
因みに、寛政年間刊行の*『摂津名所図会』では、
次の記述があります。

 

◇・・・・この里の民家より十二、三ばかりの
 女子に衣裳を改め神供を備ふ。
  これを野里の一夜官女といふ。(以下略)

 

「神供を備ふ」とあり、
どうも歌国記述以前には
少女を生け贄として献上するを
思わせる記述は見出せません。

今では生け贄献上を思わせる野里の神事も
以下のように宮座によるものでした。
テキストを挙げます。

 

◆宮座廿四人、《半角割注:老人十二人、若人十二人》
 各々上下に帯刀して附したがひ、
 四座の神前へ右夏越桶をそなへ、
 みなみな荒ごもの上に座して、
 太鼓、どひやうしやうにて神楽を奏し、終て帰宅す、

 

「みなみな荒ごもの上に座して」とあります。
菰の上には供え物が載せられるのでしょう。
テキストの続きを記します。
◆是いにしへの生にへのまねび成るよし、
 至つて古風なること共也、
 昔は夜中に行ひけれども、
 当時にては朝四ツ頃より有之、
 此時分を計りて参詣すべし、
 (図下の書込:野里鯉味佳、依テ鯉者里从魚也)

 

「いにしへの生にへのまねび」を
23歳年下で幕末大阪のジャーナリズムの寵児・暁鐘成が
『摂津名所図会大成』に
日本武尊が殺した邪神を鎮める神事と
解釈するに至り、
いよいよ生け贄献上の伝説が流布され、
神事が変化することにもなります。

 

浜松歌国は、『摂陽奇観』をはじめ、
誠実「まめ」に大阪の習俗を書きとめています。
その一方、狂言書きでもあるわけで、
深読みもあることに留意したいものです。

明日の浦江塾では、
海老江の神饌御饗の宮座神事が聴けます。

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https://ameblo.jp/tanonoboru/entry-12399544704.html

 

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登

 

 

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