「暁鐘成」覚書(8) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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今日なお見える〈蛇の淵伝承〉を
拙著2007年『水都大阪の民俗誌』和泉書院から引きます。


◆現在、野里には川が流れていないが、
 住吉神社の本殿の北・裏手に位置する乙女塚には、
 かつての水辺を偲ばせる伝承がある。
 宮司からは、
 「昭和50(1975)年、それまで玉垣に囲まれた池が
 埋まっていたのを埋めて塚を築いた」と聞く。
 また池の名を「龍の池」と云ったと聞く。
 最新版の「神社配布神事由来」には、
 「毎年娘が運ばれた場所は社殿裏の龍の池である」とあり、
 これを乙女塚の由来としている。
 「龍の池」は、*「鵜野記事」に、
 「宮の境内に小判型の龍の池と云ふのが有る
 是は往昔悪龍が棲んで居たのを
 岩見重太郎が退治したと言ふ伝説」があったとされる場所である。
 *「鵜野記事」:鵜野漆磧、1927年2月「野里一夜官女」
        『あのな』掬水庵渓楓

 その話では
 岩見重太郎が退治したのは、
 今日の伝承にみられる「狒々」ではなくて
 「龍」である。

 

「龍の池」は、蛇の淵の後身であります。
今日、神事の主役の
地元の少女たちに宮司からは、
「官女さんは、
 ただおとなしく坐っているだけで
 いいのですよ」と言い聞かせられています。

拙著の前の箇所に、
宮司への聞き書きに基づき神饌の神事として
次の記述をしています。
◆*同日午後3時10分~4時
 :神社にて神饌の神事を行なう。
 ①この神事では、
  川魚と共に官女が神様に近い所に供えられる。
 ②一番官女だけは単独に向かって右の社の前に一人座り、
  他の六人は二人ずついずれも神に向かい合う方向に座る。
 ③一番官女の草履だけは、
  宮司によってひそかに隠される。
 ④この神事は、住吉四神に捧げられるもので、
  川の神の祟りを防ぐために行うのである。
    *同日:2月20日

 

荒ぶる川に棲む神に対して
宥和を図るべく、
生魚を神饌として少女が供えたのが、
この神事の原形と考えるボクは
今日、行われている一連の神事が
歌国―鐘成による言説に沿って
生け贄となる少女を態と演出しているように
受け止められます。

 

近世大阪の物書き歌国―鐘成が
古代の生け贄を想像し
神事を遺風に仕立てたのでした。
神事は、
それらしく振る舞われるようになったのです。

近世物書きの想像による尚古主義は
大阪の民俗文化を変容させ
今日に至る「伝統」を
生み出したのでした。

 

暁鐘成を今日、評価するとき、
前代に出版された地誌等の記事にみられる
誤謬の指摘は重要です。
しかしながら、
鐘成自身、往古を創出する側面があることを
看過してはならないと考えます。
鐘成の観た「古代の遺風」は、
近世人が画いた往古地図にも通底する、
当時の物書きを含む
文化人に特有のバイアスがかかった
情報であることを承知しておいた方が
よさそうです。

 

暁鐘成の記述を読み解く際、
当時の出版界をめぐる
文人墨客の動静を知ることが
重要なことのようです。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登

 

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