「暁鐘成」覚書(7) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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鐘成が一夜官女祭を「生贄などそなへし遺風」と
認識したことの根拠となった
文化8(1811)年以前刊行の
歌国『摂陽落穂集』の行列の記事を俎上に載せます。

 

引用は、
拙著2007年『水都大阪の民俗誌』和泉書院です。

◆神饌を入れた夏越桶を持つのは「奴僕」であって、
 本文「夏越桶五」の割り注には、
 「黒きかんばん着たる下男持行」と記されている。
 行列は〈松明→夏越桶→少女→宮座衆〉となり、
 少女が神饌を運搬するのではなく、
 神饌を入れた夏越桶の後に付き従っているのである。
 
文化3(1806)年刊行の
『諸国図会年中行事大成』には、
「今晩十二家の番頭帯刀して前駆し、
次に上臈御供物を頭に戴歩行す」と記され、
神社までの行列は
少女「上臈」が神饌を頭上運搬していました。
この記事・挿絵と歌国記事とは異なります。
歌国記事では少女は、
ただ、しずしずと神前に進むだけです。

 

拙著を引用します。
◆(歌国『摂陽落穂集』では)
 少女が神饌を神に捧げる所作をとらないで、
 神饌の後に付き従っている。
 浜松歌國が「祭神にいけにへを備へる事」と記したのは、
 神饌である〈血生臭い川魚〉と〈少女〉を一組として
 〈川魚+少女=神饌=生贄〉と捉えたと考える。
 浜松歌國が目にした光景は、
 介添え人の夏越桶運搬による神供であって、
 〈少女〉自身は神供に連なる所作などしないで、
 ただ、しずしずと行列に付き従う姿であった。
 その姿を生贄に供される乙女とみて
 「いにしへの生にへのまねび」と表現したのである。
 歌国によれば、
 〈少女=官女〉は、
 神供の主体というより人身御供の対象であった。

 

少女が神供の主体であった時代の神事の
本質は何であったのでしょう。
歌国記事以前が見え始めます。

 

拙著を引用します。
◆一夜官女祭は、
 川魚を神饌の最重要品目とする
 「川」にまつわる神事である。
 この神事における伝承において深層をなすのは、
 〈蛇の淵伝承〉であり、
 この伝承は、
 浜松歌國『摂陽落穂集』における言説〈人身御供伝承〉以降、
 隠れてしまったのである。
 神事としての一夜官女祭には、
 〈人身御供伝承〉〈岩見重太郎伝説〉といった伝承が
 表層に堆積したものの、
 〈蛇の淵伝承〉といった
 伝承の深層が周辺に押しやられながらも
 今日なお見えるのである。

 

次回は、
今日なお見える〈蛇の淵伝承〉を通して
歌国―鐘成ラインによる伝承の上書きの
大阪研究上での位置づけを試みます。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登

 

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