「暁鐘成」覚書(4) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


テーマ:

前回、『摂津名所図会大成』河童島の項では、
「合羽」を「河童」と取り違えていることを
指摘しました。

ウラ事情を明かしましょう。


実は「芦分紀行」(『なにわ福島ものがたり』
福島区歴史研究会2012年)の注記の二番煎じなのですが、
『摂津名所図会大成』河童島の項の記事は
ネタ本の丸写しなのです。
今回、丸写しと言わずに仔細に読むことにします。

 

「芦分紀行」注記には、次の記述をしました。
◆『摂津名所図会大成』を書いた
 狂言作家・暁鐘成より以前に
 合羽島を「河童島」とする説はあった。
 同じく狂言作家の浜松歌国である。
 浜松は*『摂陽見聞歌拍子』に次のように記す。
    *『摂陽見聞歌拍子』:森銑三・野間光辰・朝倉治彦監修
            『新燕石十種』第八巻、1982年、中央公論社

 

以下、歌国の『摂陽見聞歌拍子』の記事を便宜的に
改行して番号を振ります。
◆浪花の合羽島は、:①
 往昔入江にて洲など有て、:②
 福島、富島、九条島、:③
 いづれも入海の島々にて、:④
 河童あまた住て、:⑤
 老婆小児を折々引こみ:⑥
 溺死する故に、:⑦
 里人河童島といふ。:⑧

 

この歌国記事と鐘成記事を
改行により対応を示します。
 ◇堂島の西の端ニあり。:①’
 一説ニいにしへ入江にて淵などありて、:②’
 福島富島九條島:③’
 いづれも入海の島なり。:④’
 故ニ河童あまたすみて、:⑤’
 時々小児を引こみ:⑥’
 害せしより、:⑦’
 終に島の名とせりとぞ。:⑧’

 

歌国『摂陽見聞歌拍子』記事と
鐘成『摂津名所図会大成』記事は
偶々、同じ情報を共有したというものでは
なさそうです。
鐘成記事は歌国記事を丸呑みしています。
②’の「一説ニ」から⑧’の「とぞ」に至る箇所が
丸呑み箇所です。

 

歌国『摂陽見聞歌拍子』記事を
「一説」としてしています。

歌国『摂陽見聞歌拍子』記事はとなりますと、
⑧に「里人・・・いふ」として
伝承に基づくことを示唆しています。
歌国は合羽製造職人が住んでいたことを
知った上で、
里人伝承だけを取り上げた可能性があります。

 

いっぽう、鐘成は臆面もなく、
歌国記事を引いてます。

無批判に受け入れたか否かは
書換を仔細に見れば明らかです。
②’に「淵などありて」とあって、
本町の曲がり淵のガタロ伝説のごとく、
河童の棲息地を
深淵とする通説によって
合理化すべく
書き換えていると
推測します。

 

このことは、
暁鐘成による地誌の記述を検証する場合、
等閑にできない点を
露顕していると
ボクは考えます。

 

歌国―鐘成の関係については
なおも興味を惹きます。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登

 

田夫野人(田野 登)さんの読者になろう

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス