「暁鐘成」覚書(2) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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 暁鐘成による地誌
『摂津名所図会大成』安政年間刊行は
近世末の著述として、一定の限界を踏まえつつ
接すれば大阪研究においては重宝な資料です。

 

まず該書の先行文献批判をあげます。
拙著2007年『水都大阪の民俗誌』和泉書院の
《17 福島天満宮の餓鬼島伝説》における
言説の変遷を引きます。
◆・・・・『摂津名所図会大成』において、
 『摂津名所図会』の菅公来臨の記述は、
 「後人の作」とする指摘がある。
 『摂津名所図会大成』露天神祠の割注がそれである。

 

以下、懸案の割り注の後半部分を引きます。
○・・・・先板にハ菅公筑紫へ左遷の砌此邊りを通らせ給ふに
 露いと深かりりしゆへ
  露とちる涙に袖ハくちにけり
  都のことを思ひ出れば
 斯詠じ給ひしより
 露の天神の号ありと見えたれども
 信がたし全く後人の作なるべし

 

この記事の「後人の作」は
『摂津名所図会』です。

拙著の引用の続きを補筆して記します。
◆露天神社(北区曽根崎)は、
 『摂陽群談』『摂津名所図会』
 『摂津名所図会大成』に至る間に、
 その由来を《Z→B→Zb》と
 記載事項を変化させている。
 『摂津名所図会大成』の記述は、
 Zb型の記述である。
 すなわち中心にとりあげた説(大文字表記)は、
 菅公影向でも菅公来臨でもない
 その他の縁起(Z)であり、
 一説として挙げている説(小文字表記:b)は、
 菅公来臨の縁起である。

 

『摂津名所図会』において
突如、菅公来臨の言説が発生したと
暁鐘成『大成』は指摘しているのです。

 

同じく『摂津名所図会』記述を批判するのは、
「北野天神社割注」にも見えます。
拙著から引用します。
◆○一説ニハ菅公左遷の時この地に休らひ給ふよし
 然れども此伝説ハ世にしバしバあり
 浪花をはじめ九州までの海邊の
 菅神廟みな斯のごとし信じかたし

 

「一説」は『摂津名所図会』記事を指します。
拙著は、「菅神廟」はともかく、
瀬戸内の島々における神功皇后の伝説によって
貴人来臨の伝説の傍証を試みました。


まず『摂津名所図会』に見える
菅公来臨言説を潮待ち伝承としてとらえます。
沿岸の各地に水や食糧を兼ねて碇泊したことが
貴人来臨の伝説を発生させたと考えます。

沖浦和光1998年『瀬戸内の民俗誌』(岩波新書)によりますと
神功皇后の来臨の伝説が残っている
「古代から海駅として開かれ、
 九州へ向かう船が必ず停泊したところ」は、
以下の5箇所です。

 

 広島県の仙酔島(広島県福山市鞆町後地)、
 百貫島(愛媛県越智郡上島町)・
 皇后島(広島県福山市皇后島)・
 玉津島(広島県福山市玉津島津島)・
 津軽島(広島県福山市津軽島)

 

『大成』菅公来臨記事の
「浪花をはじめ九州までの海邊」を
このように傍証しました。
暁鐘成地誌における
先行文献批判には、鐘成自身の
素養・知見にもとづくもので、
信憑性が認められるものもあると
ボクは考えます。

 

次回は、鐘成記述の
ウラ事情を探ります。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登

 

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