西淀川区中島界隈の近現代を話します | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


テーマ:

7月22日(日)
西淀川区の郷土史講演会で
台風、高浪襲来にまつわっての
大阪湾岸デルタ地帯の近現代を話します。
写真図 チラシ

PowerPoint版106コマ、画像、地図を駆使して
結びは以下の
「大阪湾岸デルタ地帯の同時代史」です。

 

 

◆室戸台風は、中島およびその周辺地域に
 甚大な被害をもたらせた。
 とりわけ海と川に囲まれた中州の
 布屋の一画「外島」に位置する

 ハンセン病療養所・ 外島保養院にあっては、

 想定され得る悲劇が起きた。
 施設は流出した。
 濁流から逃れた生存者は
 青森から熊本までの6箇所の施設に

 委託療養された。
 
室戸台風時の外島保養院に

焦点を合わせた目で
中島およびその周辺地域に視野を広げますと
いったい何が見えてくるでしょう。

 

◆この地域全体を鳥瞰すると室戸台風を契機に、
 地形的にも、産業面においても大きく
 その姿を変えてきたようである。
 戦時体制の強化といった時代の要請もあって
 地主は浸水した農地を手放し
 農地は工場用地となった。
 工業地帯化に伴っての地下水の汲み上げは、
 やがて地盤沈下を引き起こし、
 相次ぐ水災を被らせることになる。
 
大阪湾岸デルタ地帯の工業地化は
水との戦いの歴史でもありました。

◆昭和25(1950)年のジェーン台風の後、
 布屋・外島は、完全に海没地となった。
 その後、昭和40(1965)年代にかけて埋め立てられた。
 度重なる台風による水災は地域の景観を一変し、
 今日ではかつての長閑な農村を偲ぶ縁はない。

 

かつての長閑な農村を
小学校記念誌の記述でたどります。
この島の先端には砲台跡があり、
3月3日の節句には
お弁当を持って行楽にでかけたとか・・・。

川北小学校卒業生で西島出身の
1964年の東京オリンピック当時、
日本水泳連盟会長でありました
高石勝男氏の「本校下の地盤沈下に思う」を
紹介します。

 

◆ハンセン病療養施設が
 悲劇の地から永遠に姿を消し、
 波が洗うもとの枯れた葦原に帰したことと
 水禍に見舞われた農地の急激な工業地化は
 同時代の出来事である。
 明治41(1908)年新設以来の
 「外島」を包摂した上で
 大阪湾岸デルタ地帯の
 一連の歴史を同時代史として
 編みたいものである。

 

西淀川区、西大阪における
「近代化」は何だったのでしょう。
淀川対岸の福島区で
昭和30年代、子ども時代を過ごした
ボクの発見した
「室戸台風以前の中島周辺の世界」を
五社神社神職の描かれた絵地図をたどりながら
報告します。

 

「定員50人 当日先着順 入場無料」と
チラシに書かれています。
地元の皆さまからの
情報提供をお待ちしております。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登

 

田夫野人(田野 登)さんの読者になろう

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス