室戸台風直後の外島保養院をめぐる動向(1) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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室戸台風直後の
外島保養院をめぐる動向を記します。
とりわけ敷地の元地主と
地元住民の対応を記します。

敷地の元地主とは阿部彦太郎です。
*『風と海の中』を読んでいて
思わぬ記事を見付けました。
  *『風と海の中』
  :『風と海の中―邑久光明園入園者八十年の歩み』
   1989年第1版、
   1997年第2版発行、
   邑久光明園入園者自治会

 

台風が襲来して1日後の
1934年9月22日の記事です。
◇22日、生存者は外島保養院跡地より約2㌔上流の、
 中島町橋近くの埋立地にテント6張を張り、
 そこに落ち着くことになった。

 

この「中島町橋近くの埋立地」は、
「昭和九年室戸台風前の中島町略図」に
照らしますと
左中央、中島北端に佃町に架かる
中島橋の下の松並木より
川床に近い場所と推定します。
この場所なら外島保養院から
中島川(当時は、この川も「神崎川」)を
溯った所に位置します。

写真図 昭和九年室戸台風前の中島町略図
              川北小学校所蔵
        五社神社宮司 沼本湊氏作画

 

『風と海の中』の引用を続けます。
◇この土地は阿部彦太郎の私有地であった。
 この行き場のない病者のために、
 周囲の言葉をさえぎり、
 黙って土地を提供したこの人の名は
 記憶されるべきである。

 

「阿部彦太郎」という人物は
いったい何者なのでしょうか?
先に引いた*『西淀川区勢』では、
如何にも地域の近代化を阻む
地主であるかのごとく
記述されていた人物です。
  *『西淀川区勢』
   :『市域編入十周年記念 西淀川区勢』
    1935年4月、大阪市西淀川区役所発行
義侠心に富んだ人物なのかも知れません。

 

『風と海の中』の引用を続けます。
◇ともあれこうしてテント生活が始まり、
 そこでさっそく診療も開始されたであった。

 

著者兼発行者は
外島保養院の後身である邑久光明園の
入園者自治会が、
「この人の名は
 記憶されるべきである」と
評しています。

 

外島保養院をめぐる
周囲の人々の動向を
追っているボクですが、
ホッと、安堵する記事です。

次回は中島町民の
室戸台風直後の動向です。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登

 

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