『西淀川区勢』にみえる川北村(3) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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今回、再び取り上げますのは
*『西淀川区勢』の外島保養院に関する
次の記述です。
 *『西淀川区勢』
  :『市域編入十周年記念 西淀川区勢』
    1935年4月、大阪市西淀川区役所発行

 

◇・・・・彼の有名な
 第三区二府十一県立外島保養院は
 西端海岸に設置せられてゐが、
  村とは直接何等関係はない。

 

住民側たるべき小学校記念誌には
外島保養院に関する記事が乏しく
外島保養院の現地拡張に関しては
なぜか住民の意向を示す
記事はありません。
*外島保養院側発信の記事しか
入手できていません。
  *外島保養院側発信の記事
  :『大阪にあったハンセン病療養所-外島保養院』
   大阪市保健所感染症対策課
   「外島保養院の歴史をのこす会」
    2017年2月発行
   以下『外島保養院2017』

 

時は1930(昭和5)年9月22日のことです。
室戸台風襲来の4年前です。
『外島保養院2017』
《第1章 外島保養院の開設と移転問題
  外島での現地拡張と地域の反対》から
抜きます。

 

◆泉北郡への移転計画が頓挫したあと、
 内務省は外島保養院の現地拡張をめざし、
 1930(昭和川5)年9月22日には
 2府10県の担当者会議を開き
 拡張予算が承認されました。
 それを知った西淀川区の
 布屋・中島・西島・出来島各町の代表200人は
 同日、府庁に押しかけ、
 夜には有志84人が
 中島町青年会館で町民大会を開き
 反対運動に立ち上がりました。

 

現地拡張の土地は
布屋の畑地です。
反対運動に立ち上がったのは、
布屋ばかりか、
中島・西島・出来島といった
川北村の神崎川・淀川のデルタ地帯の
各町の代表にまで及びました。

 

そういった地元の反対運動にも拘わらず
同年(1930〈昭和5〉年)10月13日には、
大阪府社会事業連盟が
現地拡張を望むとの建議案を
知事に提出します。

そもそも、その土地は
地主・阿部氏のものです。
『外島保養院2017』には
次の記事があります。

 

◆買収する土地は
 実業家阿部彦太郎所有で
 農地として利用されていました。
 小作人には拡張工事がはじまれば
 そちらで働いてもらうとの

  知事の話がありました。

 

阿部氏は『西淀川区勢』に
名は伏せられているものの、
せっかくの水利を活かせず
工場の一つも誘致できなかったと
詰られていた地主です。
それが、
保養院拡張用地の収用は
難航を極めたようです。

次回に続けます。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登

 

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