『西淀川区勢』にみえる川北村(2) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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前回は*『西淀川区勢』は、
地主が土地開発への意欲が乏しく
工場誘致を怠った旨を
あげつらった上で
次の記事を挙げました。
 *『西淀川区勢』
  :『市域編入十周年記念 西淀川区勢』
    1935年4月、大阪市西淀川区役所発行

 

◇住民は悉く耕作に従事し、
  蔬菜西瓜の栽培旺んである。
  人口1950、

 

これを*小学校記念誌の記事と
照らしました。
  *小学校記念誌の記事
   :1902年卒業生「過去の歴史と現在までを思う」
    『九十年のあゆみ』大阪市立川北小学校、
     1963年発行

 

◆…土地の耕作面積は中島町120町歩、布屋町30町、
 出来島、西島町、耕作物は田は米、
 畑は昔は綿などを作っていた。
 綿は台風で不作となるので
 明治のなかごろから赤芋、西瓜、真瓜、
 奈良漬瓜、蔬菜を作っていた。

手広く売り捌いてもいました。

 

小学校記念誌の記事を続けます。

◆売捌販路、芋は大阪、兵庫、神戸、
 京都、大津、彦根、長浜まで、
 蔬菜その他は中島、西島は
 青年会が市場を経営していたために
 各地より商人が立寄り
 毎日高価で販売していました。
 すなわち大正年間より昭和9年室戸台風まで
 この間が町の一番全盛時でした。

 

昭和9年室戸台風までが
中島町界隈の全盛時だったことは、
五社神社奉納の常夜燈からも
偲ぶことができます。
写真図1 五社神社奉納の常夜燈

       撮影:2017年9月19日

 

写真図2 五社神社奉納の常夜燈

写真図2 五社神社奉納の常夜燈

       撮影:2017年9月19日

 

「中島青物市場中」

「昭和四年十月」の文字が刻まれています。
『西淀川区勢』が述べるごとく
「村民は
 単に小作権を有するに過ぎない」で
済まされる存在だったのでしょうか?

 

そんな折、外島保養院の
拡張工事が始まります。
誰もこの河口部新田への
台風襲来による悲劇を
予期しなかったのでしょうか?

 

次回は『西淀川区勢』記述を余所に
外島保養院をめぐる
地元住民と地主の動きを
取り上げます。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登

 

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