『西淀川区勢』にみえる川北村(1) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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前回の《地域史における外島保養院》において
外島保養院は
「村とは直接何等関係はない」と断じたのは
*『西淀川区勢』でした。
 *『西淀川区勢』
   :『市域編入十周年記念 西淀川区勢』
    1935年4月、大阪市西淀川区役所発行

 

この記述は同書の《編入前の各町村概観》の
「川北村」の項の末尾でした。
この項は、
1935年当時の「川北村」全体の概観を
記述する記事です。

 

今回は、「川北村」を構成する集落の
記述に続く、
後半の村勢の記事を取り上げます。

 

◇・・・・本村は周囲河川に囲まれ
 川中島の状態を呈し、水利に恵まれ、
 大工場地帯に適してゐるにも拘らず、
 その土地は悉く
 大阪市内一二の地主に独占され、
 村民は単に小作権を有するに過ぎない。

 

地勢を「川中島の状態」と記述しています。
大阪湾に向けて
幾筋もの川が流れ込むデルタ地帯であります。
「大阪市内一二の地主」とは、
阿部氏です。
*『九十年のあゆみ』の「校下の沿革」に
次の記事があります。
  *『九十年のあゆみ』:大阪市立川北小学校、1963年発行

 

 ◆川北の新田は地主が阿部氏であったが
  その地主より田畑を小作していた。

 

この地主の阿部氏を『西淀川区勢』は
手厳しく評します。
『西淀川区勢』の記事の続きです。

 

◇加之、地主は
 土地の開発を策すること乏しく、
 分割譲渡等をなさゞりし為め
 村内たゞ一個の工場を見ず、
 その水運は
 徒に放棄されたまゝであつた。

 

『九十年のあゆみ』に牧歌的な
中島の農村風情が記述されていました。
これも役所の目からすれば、
土地を小作人に譲渡せず、
工場誘致を怠ったと映ったのかもしれません。

『西淀川区勢』の記事を続けます。

 

◇住民は悉く耕作に従事し、
 蔬菜西瓜の栽培旺んである。
 人口1950、

 

この「蔬菜西瓜の栽培旺んである」の
記事に対応する
『九十年のあゆみ』の記事を
次回、載せます。
立場が変われば
見方はずいぶん変わるものです。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登

 

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